愛と謙遜天国に至る道・ 悪口と中傷地獄に至らせる 4    カート

批判者たちが見落としていること

イエス様に浴びせられた批判・悪口・中傷

イエス様がいやしの働きをなさった時のことが、聖書に書かれています。

「悪霊につかれていて、盲目で口のきけない人が彼のもとに連れて来られた。
 彼がその人にいやしの奉仕をなさると、盲目のきけなかったその人は、しゃべることも見ることもできるようになった。
 すると、群衆はみな正気を失うほど驚き、『この方がダビデの子ではないだろうか?』と言っていた」(マタイ12・22、23)

 神の偉大なわざが現される時、大ぜいの人が感嘆し、神をほめたたえます。
 しかし、そのことに対して100パーセントの人々が称賛するわけではありません。
 そのことに対して否定的な見解を抱き、批判・悪口・中傷をする一部の人々が、いつの時代にもいるようです。
 この同じ出来事について、ルカの福音書には、こう書かれています。

「その悪霊が出て行くと、口のきけなかった人はしゃべり、群衆は驚嘆した。
 ところが、彼らの中の幾人かが、『彼は、悪霊どもの長のベルゼブルによって悪霊どもを追い出している』と言った」(ルカ11・14、15)

 そう言ったのは、「パリサイ人たち」(マタイ12・24)と、「律法学者たち」(マルコ3・22)でした。すなわち、当時の聖職者たちでした。


洗礼者ヨハネに浴びせられた批判・悪口・中傷

 批判者たちの行為は、自分たちに対する神の御旨退けることでした。こう書かれています。

「 『見よ、私はあなたの顔の前に私の使いを遣わす。彼はあなたの前であなたの道を整える』と書かれているのは、この人のことなのです。…
 聞き入れたすべての民と収税人たちは、ヨハネのバプテスマを受けて神の正しいことを認めたが、パリサイ人たちと律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けずに、自分たちに対する神の御旨退けたのである」(ルカ7・27、29、30)

 神が洗礼者ヨハネを送られたことには、重要なご目的、一人一人に対する「神の御旨」があったのです。
 「聞き入れた」人々もいた一方で、パリサイ人や律法学者たちは、「自分たちに対する神の御旨を退けました。
 ヨハネの働きを受け入れることこそ、この批判者たちへの「神の御旨」でした。
 「聞き入れない」人々について、続けてイエス様はこう言われました。

「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まないと、あなたがたは、『彼は悪霊を持っている』と言い、人の子(イエス・キリスト)が来て、飲み食いすると、『見よ、大食漢で大酒飲みだ。収税人や罪深い者たちの友だ』と言っている…」(ルカ7・33、34)



パリサイ人・律法学者たちの間違った批判・悪口・中傷

 これで終わることなく、彼らはイエス様のことを、こう批判しました。
  • 「彼は気が狂った」(マルコ3・21)
  • 「彼はベルゼブルを持っている」(マルコ3・22)
    「彼は悪霊どもの長(おさ)によって悪霊どもを追い出している」(同)
彼らは、イエス様が行われたいやしや奇跡を、がなさることではなく、悪霊の行う『奇異』なことと受け留めたのです。
    たとえば、イエス様は
  • 盲人の「両目につばを吐かれ」て、いやしを行われました。(マルコ8・23)
  • を…盲人の両目に塗られ」て、いやしを行われました。(ヨハネ9・6)
  • 一人の悪霊につかれた人を解放するために、およそ二千匹の豚が「湖の中で窒息して」ぬことを許容されました。(マルコ5・13)
  • 葉のほかは何もない「いちじくの木」に、「もう、おまえからは永遠に実が生じないように」と言われ、その木を「即座に干からび」させました。(マタイ21・19)
 パリサイ人・律法学者たちの目には、それらのことは、
  • 聖書(旧約聖書)に書かれていないこと、前例のないこと、非聖書的なこと
  • 悪霊を持っている者がすること
として映ったことでしょう。
 そして彼らが下した"判定"は、「彼は、悪霊どもの長のベルゼブルによって悪霊どもを追い出している」(ルカ11・14、15)でした。
 彼らは、「自分たちの判断はまちがっていない。正しい真実のことを主張している」と確信していたかもしれませんが、実際は、『的外れ』の批判・悪口・中傷でした!
 彼らは、自分たちの判断が『的外れ』であることに全く気付いていなかったことでしょう。
 こういうことを言った人々が、その後、を迎える前に自らの罪に気付いて、へりくだり、心から悔い改めたのであれば、彼らは現在も天国にいることでしょう。
 けれども、こういう「的外れ批判・悪口・中傷」を言って、悔い改めることなくを迎えた人々は、一人の例外もなく永遠に地獄にとどまり続けることになります。


『的外れ』の"判定"パターン

 悲しいことに、それと同様のことが現代も起きています。
 すなわち、この『的外れ』の"判定"パターンです。
  • そのようなことは聖書に書かれていない。
    それは聖書に前例のない事である。
    それは非聖書的なことだ。
  • だから、彼は悪霊の力を使ってそういうことをしているのだ!

 聖霊の自由な働きを人間の小さな頭で結論付けようとすると、大きなあやまちを犯すことになります。
 もし、「聖書に書かれている前例」に固執すると、どういう結果になるでしょうか?
 いやしを求める盲人に対して、その目に「つばを吐き」、「泥を塗って」いやしをすべきでしょうか?
 悪霊から解放されることを求める人の近くに、乗り移らせるための家畜の群れを準備して、それらに乗り移らせることによって悪霊を追い出すべきでしょうか?
 福音書に記されているそれらの出来事は、それぞれただ一度起きたことであり、毎回それと同じ方法で盲人がいやされたわけではなく、毎回それと同じ方法で人々から悪霊が追い出されたわけではありません。
 聖霊は、ご自分がしようと思われる通りに働かれるのです。


ナアマン将軍が抱いた批判的な心

 ナアマン将軍が預言者エリシャのいるイスラエルの国にやって来て、自分の体のいやしを願い求めた時、どうだったでしょうか?
 ナアマンは、「きっとエリシャが出て来て、私の体の患部に手を置き、彼の神の御名によって、いやしの祈りをしてくれるだろう」と思っていました。(第二列王記5・11)
 ところが、神が選択された方法は、「ヨルダン川に行って七回体を洗うこと」でした。
 幸いにも、ナアマンは、こう言って帰国することはしませんでした。
 「神がそんなことを言うはずがない。
 そんなやり方は今まで聞いたことがない。
 エリシャは偽預言者にちがいない。
 彼が行ったという奇跡悪霊によるものだったのだ!」

 もし、そういう批判的な心のままであったなら、彼はいやされることなく、病気のまま滅んでいったことでしょう。
 けれども、彼はへりくだり、賢明なしもべたちの助言を聞き入れて、神の人エリシャの言った通りに行い、いやしを受け取りました。
 ナアマンは、「神の正しいことを認め…自分たちに対する神の御旨」を受け入れた一人でした!


聖霊自由に、主権的に働かれる

 旧約の時代も、新約の時代も、聖霊は、「ご自分がしようと思われる通りに」、自由に、主権的に働かれるのです。
「これらすべては同一の御霊が働いておられるのであって、一人一人に個別に、ご自分がしようと思われる通りに分け与えておられるのです」(第一コリント12・11)
は、その望むところに吹き、その音をあなたは聞きます。しかし、それがどこから来て、どこに行くのか、あなたは知りません」(ヨハネ3・8)

 イエス様は地上で、「御霊を量りによらずに与え」(ヨハネ3・34)られ、働きをなされました。
 そして聖霊が選択されたのは、上記のようなさまざまなユニークな方法だったのです。
 イエス様が、目につばを吐かれたこと、を目に塗られたこと、いちじくの木を呪って干からびさせたこと、豚の群れを犠牲にされたことなど、聖霊はイエス様を通して「ご自分がしようと思われる通りに」自由に働かれたのです!

 聖霊が「ご自分がしようと思われる通りに」自由に、主権的に働かれるということを理解しない時、『的外れ』の批判・悪口・中傷が生じてきます。
  • たとえば、「聖霊の力によって倒される」「聖霊によって床に釘付けにされる」などさまざまな仕方で表現される現象が存在します。
     神の奉仕者がだれかの額に<手を置いて祈る時、あるいは、手を置くこともなしに、その人が聖霊の力によって後ろへ倒される場合があります。
     これは、二十世紀の初めにアメリカで始まった『アズサ街リバイバル』で経験され、マリア・ウッドワース・エター師のミニストリーや、キャサリン・クールマン師のミニストリー、ケネス・E・ヘーゲン師のミニストリーなどでも経験され、現在も世界中で経験されていることです。
     倒れた人々が、すぐに立ち上がることもあれば、長い間横たわったまま、種々多様の聖霊体験をすることもあります。
     横たわっている人々が長い時間、床に「釘付け」のようにされることもあります。
  • 神が「笑い」で人々を満たされることもあります。
  • 聖霊によって人々が「酔っている」ような状態になることもあります。

 「聖霊の力によって倒される」場合、通常は、倒れる人を受け留める人々がいますが、たまたま受け留める人がいない場合もあります。
 受け留める人がなく、急にバタッと激しく倒れるのを、何も事情を知らない人が見たら、こう批判するかもしれません。
 「なんと危ないことをするのだろう!
 怪我でもしたら、どうするのだ!」

 しかし、聖霊による場合なら、そうではありません。


聖霊自由に、主権的に働かれる事例1

 マイケル・H・イーガー牧師地獄の恐怖・天国の壮麗著者)が、ある時、アメリカの大学の広い会議室で集会を開いていました。
マイケル・H・イーガー  祈りを求める人々が列を作って並んでいました。
 その並んで立っている人々の後ろには、倒れる場合に備えて男性のワーカーたちが立っていました。
 聖霊の御臨在が非常に強くあったため、イーガー師はそのワーカーたちに、祈りを求める人の背中には決して触れないようにと告げていました。もし触れれば、その人は倒れるであろうことを彼は知っていました。
 ところが、一人のワーカーが、前に立っている若い女性の背中に誤って触れてしまいました!
 その女性は前のめりにバタッ大きな音を伴って倒れました!!
 イーガー師は彼女のところへ助けに行こうとしましたが、間に合いませんでした。
 彼女は両手を脇に置いたまま、コンクリートの床の上に倒れました!!
 そして実際に、彼女の顔面が床に当たった瞬間、「かぼちゃを半分に割る」時のようながして、そこにいた人々はみな、恐怖のため息をつきました。
 イーガー師は、その女性が出血したにちがいないと思いましたが、血は少しも見当たりませんでした。
 むしろ、彼女がそこに横たわっていた時、イーガー師は全き平安を感じていました。
 集会後、イーガー師がその女性のところに行きましたが、驚いたことに、彼女の顔には一つも傷跡がありませんでした。
 彼は彼女が倒れた時のことを尋ねました。
 すると彼女は、「床に当たった時、まるで羽毛ベッドの中に倒れるように感じた」と言いました!!


聖霊自由に、主権的に働かれる事例2

 聖霊は、人間の想像の及ばない方法でみわざをなさることがあります。
ケネス・E・ヘーゲン  ケネス・E・ヘーゲン師が、ある時、いやしを求めて並んでいた一人の男性の前に立ちました。その男性は歩くことができませんでした。
 ヘーゲン師がその男性の前に立った時、その男性の腹を強く打つようにとの聖霊の促しを受けました。
 ヘーゲン師は、それを実行しました。
 何も事情を知らない人が見たら、こう批判したかもしれません。
「なんとひどいことをするのだろう!
 ケネス・E・ヘーゲンは暴力を振るう説教者だ!
 悪霊の力で奇跡を起こしているのだ。
 これは異端だ!」

 しかし、そうではありません。
 ケネス・E・ヘーゲン師が聖霊の促しに従い、その男性の腹を強く打つと、どうなったでしょうか?
 彼は、いっそう具合が悪くなって病院に搬送され、ケネス・E・ヘーゲン師は逮捕されたのでしょうか?
 そうではありません。
 その男性は、一瞬にして完全にいやされ、その会場内を走り始めました!!
 聖霊は現在でも、「ご自分がしようと思われる通りに」自由に主権的に働いておられるのです。


聖霊か? 肉の性質か? 悪霊か?

「そのようなことは聖書に書かれていない」 「それは聖書に前例のない事である」「それは非聖書的なことだ」と人間にはみなされることで、実は、聖霊の真正の働きであることは、たくさんあるのです。
 見かけで聖霊の働きを判断しようとするのは非常に危険です。

 ところで、「聖霊の力によって倒されること」「笑い」「酔っているように見えること」などの現象は、「聖書に書かれていない、前例のない」ことでしょうか?
 人々は悪霊の力を受けて、そのような経験をしているのでしょうか?
 そうではありません。
  • 聖霊の力によって、あるいは御臨在によって人々が倒されることは、ヨハネ18・6、使徒9・4、黙示1・17などに前例が見られます。
  • 人々が笑いで満たされることは、詩篇126・2、ヨブ8・21に記されています。
  • 聖霊に満たされて「酔っているように見えること」は、使徒2・13、15に前例があります。

 ただし、注意しなければならないのは、聖霊の真のみわざが存在するとともに、「悪霊のわざ」も、「人間の肉による演技」も存在することです。

  • 聖霊による異言もあれば、「悪霊による異言」もあります。
  • 聖霊によるいやしもあれば、「悪霊によるいやし」もあります。
  • 聖霊による笑いもあれば、「悪霊による激しい笑い」もあります。
    人間的な肉の「作り笑い」もあります。
  • 聖霊によって倒されることもあれば、「悪霊によって倒される」こともあります。
    だれかの額に手を置いて倒れなければ、押して無理やり倒そうとする奉仕者もいます。
    また、聖霊の力を何も受けないのに、手を置いてくれる奉仕者に『忖度(そんたく)』して、自分から倒れる人もいます。

 もちろん、これらはどれも論外のことです。
 ただし、注意すべきことは、『偽物』が存在するからといって、『本物』の存在まで否定することはできないことです。(詳細は→悪魔による偽造物サタンの策略ほか参照)
悪魔による偽造物 _臨死体験と悪霊の芝居 サタンの策略


誤解事例1

 ケネス・E・ヘーゲン師の働きを、『蛇の霊』による働きだと批判している人がいます。
 なぜ『蛇』なのか、その根拠を調べて見ると、ある集会でヘーゲン師が会衆に話しかける際の舌の形と音声が蛇に『似ている』(その人の判断によると)こと、そして、聖霊の力を受けた人々がイスから「ずれ落ちる」格好が蛇の動きに『似ている』から、ということのようでした。
 その人々はイスから床に、頭からではなく、足を先にしてずれ落ちているようすが映っていましたが、蛇は、頭からではなく、足を先にして移動するのでしょうか?
 この批判者は、『似ている』『自分が感じること』批判の根拠としているにすぎません。この批判者は、他の奉仕者たちや伝道団体をも批判していました。


誤解事例2

 マイケル・H・イーガー牧師地獄の恐怖・天国の壮麗著者)が、ある時、ドイツの教会で通訳付きでメッセージを語っていました。
マイケル・H・イーガー  そのメッセージの内容は、私たちはイエス・キリストに自分を100パーセント、完全に、すべてを献げること、神とのより深い関係に入るためには払うべき代価(犠牲)があること、御霊によって生きるためには肉の性質に対して死ななければならないこと…でした。
 彼がメッセージを語っていた時、その教会にいた人々がみな、イスから「落ち」ました。
 会衆はみな、御霊の力の下を流して泣いていました。…
 もちろん、彼らは「頭」を先にして床に「落ちた」わけではなかったようです!
 しかし、上記の批判者からすれば、これも『蛇の霊』によることになるのでしょう!


『自分に理解できないこと』批判・悪口・中傷

 パリサイ人たちや律法学者たちが理解できなかったこと、そして現代の批判者たちも理解できないでいることは、神はさまざまな方法でみわざをなさること、聖霊人間の「想定」はるかに超えたユニークな自由な仕方主権的に働きをされることです!!
 それにもかかわらず、『自分に理解できないこと』を批判し、悪を言い、中傷している批判者たちがいるのです。
 ユダ書で言われている者たちと同様です。
「この者たちは、自分がわかっていないことを罵っています」(ユダ10)



高ぶる人謙遜な人

 人を『批判』することは、『高ぶり』と関連しています。
 聖書はこう言っています。
「主の御前でへりくだりなさい。
 …互いに悪口を言い合っていてはいけません、兄弟たち。
 兄弟の悪口を言っていて、自分の兄弟を裁いている人は、律法の悪口を言っており、律法を裁いているのです。…
 他人を裁いているあなたは、だれなのですか?」(ヤコブ4・10〜12)
他人の家僕を裁くあなたは、だれですか?」(ローマ14・4)


 いみじくも、次のように指摘する人もいます。
「最も恐ろしいことは、人をさばき始めると、何やら自分が立派な者になったかのような錯覚が生じてしまうことです。…
 人をさばくとき、私たちは『高ぶり』わなに陥るのです」


 へりくだることを忘れず、愛と謙遜によって天国に至る道を歩む人は幸いです。
 批判と中傷というによって歩む道は、地獄に行き着くことになるからです。


次の5で紹介する一変した牧師の生涯をおくる人は幸いです。


次へ 5
一変した牧師の生涯


愛と謙遜天国に至る道・悪口と中傷地獄に至らせる
  1. 悪口と中傷地獄に至らせる
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  3. 他人のしもべを罪に定めるあなたは何者ですか
  4. 批判者たちが見落としていること
  5. 一変した牧師の生涯
  6. ケネス・E・ヘーゲン師への『的外れ』批判1
  7. ケネス・E・ヘーゲン師への『的外れ』批判2
ゴードン・リンゼイケネス・E・ヘーゲンマイケル・H・イーガーロダリクスジーン・コールマン


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ケネス・E・ヘーゲン師の体験証し
レーマ聖書学校で学んだ最高のこと
ケネス・E・ヘーゲン ケネス・ヘーゲン師の天国体験
オレッサ・ヘーゲンの証言
地獄へ下った「教会員」
神からのメッセージを受け入れず死んだ人
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私は天国ケネス・ヘーゲン師と会った
まちがった方法は危険です
ケネス・ヘーゲン師への的外れ批判1
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ケネス・ヘーゲン師のミニストリー




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    クリスチャンへの警告 第18集 神の裁きによる実際例
    クリスチャンへの警告 第18集
    クリスチャンへの警告 第20集 教理・教師への神の裁き体験
    クリスチャンへの警告 第20集



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