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1972年7月のあの日、私の地上の人生は一瞬にして中断されました。私は、この地上のものではない光に照らされ、瞬時に完全な平安の中に浸っていたのです。
そして、耳をつんざくばかりの御声が聞こえました。
「ディック、あなたは死んだのです!」
私のジレンマを想像してみてください。私がどこかから来て上陸し、二本の足で立っていると、突然、どしんと当たるようにして、私は新しいからだで、見慣れない葉が茂る中にいたのです。 そして、私の頭の内に話しかける御声を知性で聞いたのです! それは実に説明しがたいことでした。
それから私は、自分がどこから来たのか?、どうやってそこへ来たのか?、からだと知性は全く新しいのに、なぜ依然として『私』のままであるのか?、ということについて記憶が全くないことにびっくりしました。信じられないくらいでした!
私はメガネをかけていないのに、長い谷が見えました。その谷には完璧な植物標本が満ちており、それらの植物にふさわしい色合いを静かに放っていました。
私の周囲からは天の音楽が聞こえました。 さらに、しみ渡るような優雅な芳香も感じました。どれも、あり得ないくらいにうっとりさせるものでした!
私は、はっとしました。その新しい体には痛みがなく、まるで『あふれるばかりの喜び』で作られているかのようでした。 私が何を思っても、そのからだが少しも遅れることなく一瞬のうちに反応することを、私は発見しました。
その知性(思い)には、恐怖感が全くありませんでした。むしろ、私がそこへ初めて、また突然上陸したにもかかわらず、完全に平安でした。 その白く輝くからだの中で、私は実に生き生きとしていて、頭もさえていたのです。
あらゆるものが、影のない光を浴びており、愛のバプテスマに浴していました。
その時、私はこう思ったのです。
『私は家に帰ったのだ! ここが私の本当の家なのだ! イエス様のご臨在に包まれているこここそ、私の属していた所だったのだ』と。
私は、そのすべてにうっとりして、一瞬、声も出ないくらでした!
それから私は、「私は死んだ」と語られたのはイエス様の御声なのだと気付いたのです。それなのに、『私』は完全に生きていたのです。 (イエス様が実際に言われたのは、私の以前の肉体と不完全な知性だけが死んだという意味でした)。 私は、自分自身がこう叫んでいるのが聞こえました。
「イエス様、私は今どこにいるのですか?」
その瞬間、私が質問を終えないうちに、あの同じ御声が穏やかな雷鳴のようなトーンで私の頭の内側にこだましました。
「あなたは私の本を読まなかったのですか?」……
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