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私は十一歳の時にイエス・キリストを私の人生の主(主人)として受け入れました。
私は十七歳で結婚し、教会を離れ、罪の世界に入って行きました。
● 私は、地獄とは神から離されるだけのことだと思っていました
四十歳の時には、私は二度目の結婚生活をおくっており、完全なアルコール中毒患者になっていました。私は麻薬やアルコールやたばこに夢中で、私の人生への神の召し(招き)からは逃げていました。
事故に遭う一週間前、私は職場に車で向かう途中、私の母の家に立ち寄りました。私が家に入ると、母は泣き出して、こう言いました。
「アリーン、あなたはいつ神様にあなたの人生をお返しするつもり?
ずいぶん老けて見えるわよ」
私は自分が生きようが死のうが、かまいませんでした。母もそのことを知っていました。私は自殺を試みたことが幾度もありました。私はアルコールや麻薬にあまりにもとりつかれていて、神がふたたび私を解放できるとも、いつか私を解放してくださるとも信じることができませんでした。
私は神にそむいたことが何度もあったので、もう一度私を赦してくださいと神にお願いする権利さえないくらいでした。
私はこう言いました。
「ママ、私は地獄なんか気にしていないわ。悪魔が私に対してできることで、私がこの地上の人生で経験していないことがあったら、私に言ってちょうだい。
私はこれまでずっと、心痛と悲しみと地獄ばかりを経験してきたのよ。
地獄の炎でも悪魔でも、私に触れることなんかできないはずよ」
私は母を見つめて言いました。
「ママ、天国が存在して、地獄も存在するとしても、私にとっての地獄は、私が生涯とても愛してきた神様から離されるだけのことだわ」
私はそう叫びながら玄関に走って行きました。すると、母はいつものようにひざまずきました。
彼女はこう祈りました。
「神様、彼女のことばをお聞きになったはずです。彼女は死も地獄も恐れていません。
なんとかして、彼女に地獄の一部を見せてやって、彼女を連れ戻してください。
そうして、彼女の心にふたたびあなたを恐れる思いをお与えください」
● 私を地獄に送った自動車事故
一週間後、私は自動車のハンドルを握ったまま寝入ってしまいました。私は川の土手を飛び越え、外に放り出されました。
私の首の骨が折れ、私の腰は四ヶ所が大きく砕かれ、肋骨は九本折れ、左の肺は押しつぶされ、二つの腎臓も押しつぶされました。
母は病院に呼び出されました。二人の医師が玄関で母と面会し、私が助かる唯一の望みは神だけですと告げました。私は全能の神から奇跡を受けなければならなかったのです。
その間、気が付くと、私は、あの「死の陰の谷」(旧約聖書・詩篇二十三篇)を歩いていました。
その谷はとても深くて、暗くて、広い所であり、私はとてもこわくて、ほんの少しでも動くことができませんでした。
私は神に向かって大声で、私の足をおさえて、私が動かないようにしてくださいと叫びました。私は、ものすごく真っ暗な暗闇の場所にいたのです。私は自分の前にある両手も見えませんでした。
私はいつも詩篇二十三篇が大好きでした。私はそれを引用して言い始めました。
「私は死の陰の谷を歩く時でも、…」
しかし、私はそのあとを続けることができませんでした。私は、「 あなたのむちとあなたの杖、それらが私を慰めてくれます」と言えませんでした。
私は、私の生活に罪があるままで、そこに立っていたのです。
そこで全能の神とお会いするには、私は未完成だったのです。
私の内側で生きている唯一のものは、神のことばだけでした。すると、そのみことばがイエス・キリストに変わりました。
彼は私のために、父なる神に対する大祭司として、とりなしを始められました。その死の谷で、私のたましいを動かないようにとどめておくためでした。
右側に強大な死の天使が現れました。
私は叫んで言いました。
「なぜ、ここに死の天使がいるんですか?」
彼は、御父のご命令に基づき、私と私の主とを分け離すために来たのでした。
その死の天使は、あの外の、外の暗闇へと私を連れて行きました。
気が付くと、私は地獄の中にいて、悲鳴を上げたり、大声で叫んだり、歯ぎしりしており、その死の天使に、「私を地獄の中に置き去りにしないで!」と懇願していました。
私の周りには、おびただしい数のたましいがいて、悲鳴を上げたり、歯ぎしりしたり、死のうとしたりしていました。
● 二つの死
私たちは、死んでしまえばそれで終わりだと思っています。しかし、死ぬのは肉だけです。その後で、第二の死があるのです。それは、そのたましいに神の裁きが宣告される時です。私たちは、神の内にある者として命の宣告を受けることになるか、あるいは、死の宣告を受けることになるか、そのどちらかを受けるのです。
ただし、死の宣告を受けても、私たちは「死に絶える」わけではありません。私たちは存在しなくなるのではありません。最初の死の後、私たちはもっと意識が高まるのです。たましいは、永遠に、永遠に生き続けるのです。
あの裕福だった男のたましい(新約聖書・ルカによる福音書16・19〜31)は、今でもそこにいて悲鳴を上げ、大声で叫び、歯ぎしりしており、火の池に投げ込まれる裁きの日を待っているのです。
そこで、ある大きな淵が据えられてあるのが見えました。それらのたましいはみな、父なる神のところへと登ろうとしていました。しかし、その深い淵を通過するための唯一の道は、イエス・キリストの尊い血を通って行く道でした。その血は、それまで私がとても軽んじていたものでした。
それから神は火の池を私に見せてくださいました。そこでは、天使たちのうちの三分の一が暗闇の鎖でつながれていました。赤くて熱い、突き刺すような炎が、いたるところで燃えていました。それなのに、その炎は光を全く放っていませんでした。その火の池は、真っ暗な闇の中にありました。地獄は拡大しつつありました。
そして、地面をも揺さぶるような、神の力強い御声が聞こえてきました。彼は、その空気に染み渡るように私に話しかけられました。
彼はこう言われました。
「あなたが悪魔を恐れないのは正しいことでした。けれども、私は彼が最初の死をもってあなたを殺すことを許しました。
あなたは私を恐れなさい。私こそ、あなたの体とあなたのたましいの両方を滅ぼすことができる者なのです。私が地獄を所有しています。私は、やむを得ず、これらのたましいをここに投げ入れたのです」
神は、人間のたましいのために地獄を創造したのではないと言われました。しかし、地獄は拡大しつつありました。なぜなら、「滅びに通じている門は広く、…命に通じている門は狭く、…それを見出している者は少ない」(マタイ7・13、14)からです。滅びに至る道を歩んでいながら引き返すことを拒んでいる人々が多いのです。
● 地獄で神は私に話しかけられた
私が昏睡状態で横たわっていた日々の間、私はあの暗い谷の中で待っていたのです。それは永遠のように思われましたが、地球の時間では、ほんの数日にすぎませんでした。この期間、私の姉が私の命のために熱心にとりなしの祈りをしていました。
長い期間と思われる時が経過した後、ついに一つの明るい光が輝き始めました。それは非常に聖なる、非常に義なる光であり、私はその全能者の光を見上げることさえ、ふさわしくありませんでした。
その暗くて深い谷の中で、私は自分の両目を覆って、うつ伏せに倒れました。そこで、二度目に、全能の神の御声が私に話しかけました。神が私に言われたのは、ローマ11・29のみことばだけでした。
「神の賜物と召しは、思い直される(後悔される)ことのないものだからです」
私は、「神様、私をお赦しください!」と絶叫しました。私は、まさに今、自分は死ぬのだと思いました。というのも、この時、私の押しつぶされた肺と、収縮していた私の右の肺は膨張し始めており、私は四分間も呼吸していなかったのです。医師たちは私の二つの肺に大量の酸素を押し込もうとしていましたが、少しも良くなってはいませんでした。四分たってから彼らは私を検査しました。命は全くありませんでした。
あと一分もすれば、彼らは私に死亡宣告を下し、生命維持の機械を全部私から取りはずしたはずです。
● 私の罪
私は、彼らが私の命を救うために何をしようとしているのか知りませんでしたが、私が死につつあることは、わかりました。
天に、一つの美しい巻物 |