|
ベトナム戦争の時、小隊の軍曹であった私は、豆畑の中で待ち伏せの場所を造る作業の指揮をしていました。そこは、ジャングルから百四十メートルほど離れた場所でした。
突然、ジャングルの中から一人の男が私のほうに来ました。彼は片方の肩に武器を掛けており、もう一方の肩には、ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)への供給物を集める袋を掛けていました。
私は圧倒されるばかりの脅威を感じました。
私は彼に傷を負わせることも、彼の命を奪うことも可能でした。私と、私の小隊に属するもう一人が発砲しました。すると、その男は倒れました。
アメリカ人兵士である私は、人間を殺すのではなく、「物」を殺すように人々を見る訓練を受けていました。私たちはまた、敵が死んだら敵の持ち物を奪うように命じられていました。
それで私は、暗くなりかけた中で、進み出て行って彼のポケットの中から財布を奪い、それを私のポケットの中に入れました。その翌日、私の仲間の兵士の一人が私に、昨夜は何を「収集した」のかと尋ねました。私はその時までそのことを忘れていましたが、私はズボンのポケットに手を入れ、私があの男から奪った財布を取り出しました。
ところが、それは私自身の財布でした!
それより二週間ほど前に、サイゴンから北東に約四十キロメートルのところで、第199歩兵隊がその地域のジャングルの村々で仕事をしていました。
私もその歩兵隊に所属しており、部隊の一つがジャングルを通るのを指揮していました。
私たちが入り込んでいた地域は水浸しで、水かさはますます深くなっていました。しまいには、私は将校の一人のもとに連絡して、「水かさが深くなりすぎて、身動きできなくなる可能性があるから、目的地を変更する必要がある」と伝えました。
その当時、ジャングルの葉が茂っていて、人が通り抜けられないくらいになっていたため、大型の幅広ナイフを持っていたビル・ウッズという隊員が、私たちの前方で竹林を切り開いて進みました。
私は彼の後について行きました。
ところが、彼は十歩ほどで立ち止まり、私のほうを振り向き、「我々は待ち伏せの場所に踏み込んでしまったと思う」と、ささやき声で言いました。
ベトコンがU字型の態勢で私たちのほうに向かっていたのです。彼らは私やビルの前にも横にもいました。小隊のほかの者たちは、すばやく後方の竹林の背後に移動しました。今やビルと私は、その水辺で互いのあごがくっつくくらいにしていました。
突然、彼はつまずいて水中に沈み、私が一人だけ残されました。
あとでわかったことですが、彼はすばやく潜水して、水中を泳いだのです。
その水辺には大きな丸太が一本ありました。
私がその丸太の他方の端に進んだ時、そこに隠れていた一人のベトコンをびっくりさせてしまいました。それから自動小銃が発砲しました。
私は、自分が死んだと相手に思い込ませようと考えました。私は息を止めて水中に潜り、顔を下向きにして水面に上がって来ることにしました。
ところが、私がそうした時、私の両足が木の根にからまっていることがわかりました。
私は背中に三十キログラムほどのリッュクサックを背負っていました。その瞬間、そのベトコンは手榴弾を二発水中に投げ込みました。
まるで、だれかが光をともしたかのようでした。
突然、すべてが真っ暗になりました。しかし、私は自分が軍服を着て立っているのを感じ取りました。
軍服はすべてきちんと折り目が付いていて、きれいであり、武器もリュックサックも全くありませんでした。私の前方に、長い、長い道がありました。
その両側は、見渡す限り、ひまわり畑でした。
その花の色は、黄色や褐色や緑色であり、私が見たこともないような、このうえなく美しい青空が背後にありました。雲は全くなく、輝く青色が大きく広がっているだけでした。
私は自分がどこにいるのか理解できませんでしたが、その道を見ると、その端に一つの小さな光が見えました。私の注意はすべてそれに向けられました。
私がそれを見つめていると、それは私のほうに近づいてきました。私は人生で一度もそれほど明るいものを見たことがありません。
それは描写するのが不可能です。まるで、その光が私を捕らえたかのようでした。私はそれから目を離すことができず、私はそれに包まれました。
しだいに(ただし、私はこの体験の間、時という概念を全く持っていませんでした)、私はある存在者が私の右側にいるのに気付きました。
私は振り向いて見ることはしませんでしたが、だれかがそこにいるとわかりました。そして、何らかの仕方で私の内側からこういう思いが生じました。
「お願いです、私を連れて行かないでください、私は行く準備ができていません」
私が死んでいることについては何も語られませんでしたが、私は、「死ぬとはこういうことなのだ」とわかりました。それから、私の母についての思いが頭に浮かびました。私には遠い親戚が一人いました。
彼はベトナム戦争で殺された人でした。
私は、そのことが、その家族の上に及ぼした影響を知っていました。私は、私の母は私が死ぬのをどうしようもできなかったのだ、と思いました。
私がそこに立って、この光に包まれていると、こう言う声が聞こえました。
「恐れてはいけません。すべて大丈夫です」
その声が来たのは、私の右側からでした。私はそのことばを聞いた時、私の頭のてっぺんから足のつま先まで、無条件的な愛が広がっていく感覚を経験しました。それから、ふたたび声がありました。
「彼はまだ準備ができていない。あなたは彼を連れ戻してよい」
私は、この存在者によって私の右手を取られるのを感じました。
それから、私は一瞬にして目が覚めました。私は地面に横たわっていました。私の小隊の全員が私の周りで立っていたり、ひざまずいていたりしました。
担当の将校が両手で私の胸部を押していました。私はせきをして、水を吐き出しました。
彼は、あ然とした声で言いました。「大丈夫か?」
私は、「そう思います」と答えました。
彼は私に何が起こったのか尋ねました。
私は自分が体験したことを彼に話しました。
ただし、自分は本当にわかりませんと言いました。
別の一人が口をはさんで言いました。
「やつらがあなたを目がけて手榴弾を投げたんです」
別の人はこう言いました。
「ディラニー軍曹、このままいけば、あなたが話している神様を私たちも信じるようになりますよ」
私は将校に、「私たちが基地に戻ったら、私はあなたを『五つ星』(武勇賞)に推薦します」と言いました。彼は命懸けで私を助けてくれたからです。
ところが、彼は全く困惑したようすで私を見つめ、こう言いました。
「しかし、私はあなたに一度もさわりませんでしたよ!」
私は彼が控えめな人なのだと思って、彼にこう言いました。
「あなたは私を引いて連れ戻してくれたはずです。あなたの手が私を水中から引き上げてくれるのを私は感じたからです」
「全く勘違いしていますよ」と彼は言いました。
「私は水中に飛び込みましたが、弾丸が飛び交っていて、あなたに近づくことができなかったのです。そのあとで大きな爆発がありました。その時はもう、あなたの姿は見えなくなっていました。私は、あなたが死んでしまったと思いました。
ところが、突然、あなたの片手が水中から出て来て、私たちの真ん前にあなたがいたのです」
私には、それは信じがたいことでした。明らかに、そうしたのは将校ではありませんでした。
彼が水中に入って私をつかまえに来たのでないとしたら、ほかに答えは一つしかありませんでした。
すなわち、木の根でいっぱいの水中から私を奇跡的に引き上げて安全に連れ戻してくれた、神の御手だったのです。私は立ち上がり、服を整え、ふたたび進軍を続け、新たな目的地へと移動しました。
この出来事より前に、理由はわかりませんが、私は自分のズボンのポケットから私の財布を取り出し、私のシャツの中にそれを入れていました。
私は服を着ながら、私のシャツのポケットを調べましたが、その財布はなくなっていました。私は、それを取り戻す方法は何もなく、おそらく、私が沈んで行った水中の底にあるのだろうと思いました。
それから二週間後、私たちはあの同じ豆畑に戻っていたのです。ジャングルの端から140メートルほど離れたところです。
私が自分の財布を開けた時、お金はなくなっていて、私の家族の数枚の写真が私の財布のその箇所に入れられていたことがわかりました。その箇所に、あるベトナム人家族の数枚の写真がありました。
私はその瞬間の私の感情をはっきり説明することができません。その時、私は初めて、自分は人々を殺しているのだということで心を打たれたのです。
私が殺したその男性は、ちょうど私と同じく、一家の家長でした。彼の家族は、今や彼のことで悲しむようになるはずです。戦争の無意味さで私は心打たれました。この男性は、彼の国から私を追い出そうとしていただけです。私は、この臨死体験であれほどの無条件的な愛を経験したばかりなのに、そのあと、また一人の人間を殺していることで、その二つのことのバランスを取るのに大いなる困難さを覚えました。
私は自分がどうしてベトナムにとどまり続けることができるのか、わかりませんでした。
およそ一週間後、非常に激しい戦闘中、私は撃たれて右腕のほとんどを失いました。私は体の回復のためにアメリカの病院に送られました。しかし、私は恐ろしい心的外傷後ストレス障害をわずらいました。
事実、私は数年間、自分はこれからきっと気が狂ってしまうだろうと確信していたのです。
私と同じような経験をしたことのある人を、私はだれ一人知りませんでしたし、そのようなことについて本で読んだことも全く一度もありませんでした。
私はクリスチャンとして育ち、教会で結婚式を挙げ、しばらくの間、教会の指導に携わったこともありました。ベトナム戦争後、私は大学に戻り、心理学の学位を取得し、その後、カウンセリングの学びをしました。けれども、私が受けたトラウマがあまりにも深く、最後には私の結婚生活は崩壊し、私自身のためにカウンセリングを受けに行かねばなりませんでした。
私は自分がどんな問題を経験したかを尋ねられました。私がその人に話そうとした時、私たちは二人とも座って泣きました。
それが、私が正気に戻る始まりでした。
1975年、私はリーダーズ・ダイジェスト誌で、臨死体験をしたある婦人の記事を読みました。私は信じられないくらいの安堵感を覚えました。私は気が狂うことはありませんでした。
あれは本当に私に起こったことだったのです!
私がこのすべてのことから学んだ偉大な一つのことは、私たちの神はあわれみ深く、赦そうとしていつもそこにいてくださるお方であることです。
私たちがしなければならないのは、完璧な人間になることではなく、ただ悔い改めた者となることです。神は、私たちを拾い上げて、彼の栄光のために私たちを用いようとしておられるのです。
(ジェリー・ディラニー牧師は、有資格の心理学者としてその仕事に従事するとともに、教会の牧会チームの一員でもあります)
|