《 臨死体験再現ビデオ 》
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→「天国と地獄の現実…臨死体験者たちの証言 」 |
(このメッセージは本書からの抜粋です) |
● 猛毒のクラゲ 私の生活はすべて、スポーツと旅行が中心でした。二十四歳の時、私はニュージーランドの大学で獣医学の学位を取った後、二年間かけての世界旅行を終えたばかりでした。こうして今や私は、サーフィンやスキューバ・ダイビングが大好きな人ならだれでもそうであるように、地上のパラダイスの生活をモーリシャス島で過ごしていました。 私はよく、地元のダイバーたちといっしょにサーフィンや魚釣りに出かけて行き、夜のダイビングにも夢中になっていました。 私は地元の気候より寒い気候に慣れていたため、厚さ一ミリの薄い半そでのウェットスーツしか着ませんでした。ただし、地元の人々は、三ミリか四ミリの厚さのスーツを着て、頭から足まですっぽり包まれていました。 私が兄弟の結婚式に出席するためにその島を出発してニュージーランドに帰ることになっていた日の四日前、その地元の青年たちといっしょに夜のダイビングに出かけました。私は出かけることに少し不安がありました。というのも、水平線上に激しい雷雨が見えたからです。けれども、私は自分を納得させて出かけて行きました。 その夜、私が海に潜ると、私の持っていたトーチ・ライトが私の真ん前に一匹のクラゲを照らし出しました。私は興味をそそられました。なぜなら、それは普通のタイプのクラゲではなく、「箱形」のクラゲだったからです。 私は革手袋の手でそのクラゲを強く握った時、この箱形の有毒クラゲが人間に知られているものの中で二番目に猛毒である生き物だとは、思いつきもしませんでした。その毒で、オーストラリア北部だけでも七十人以上の人々が亡くなっており、その数はサメによって死んだ人の数よりも多いのです。オーストラリアの都市ダーウィンで、この毒クラゲにより三十八歳の男性の心臓が十分間で停止したのです。 突然、私は前腕にとても大きな電気ショックのようなものを感じました。まるで何千ボルトもの電気のようなショックでした。私は何が起こったのかわからないまま、最悪のことを行なってしまいました。私の腕をこすってしまったのです。しかも、そのクラゲの触手から出る毒素でこすってしまったのです。 私は船に上がらないうちに、他の三匹の毒クラゲに刺されました。私の前腕は風船のようにふくらみ、触手で刺された箇所には、日焼けしたような水ぶくれが腕中にありました。 私の体内で毒が巡り始めると、焼かれるような感じがしてきました。私はリンパ腺がやられて、まるでパンチをくらったようになり、ただちに呼吸困難になりました。 私はすぐに病院に行く必要があるとわかりました。しかも、すぐにです! 私が五度目に刺された時、ダイバーの一人が私を岸まで連れ戻し、道路の上に私を降ろしました。そこは、その島の、人のいない場所でした。私があおむけに横たわり、毒が回るのを感じていると、静かな声がこう言うのが聞こえました。 「もし目を閉じれば、あなたは二度と目を覚ますことはありません」 私は、だれがそう言ったのか全くわかりませんでした。しかし、資格のある水難救助員であり、スキューバのインストラクターでもあった私は、抗毒素をすぐに受けなければ死ぬことになるとわかりました。 私は何とか病院に行こうとしましたが、それはどう見てもむずかしいことでした。私はお金を全く持っていませんでした。 また、私が乗せてほしいとひざまずいて懇願したインド人のタクシー運転手は、私を乗せてはくれましたが、ホテルまで運んでくれただけで、お金を払ってもらえそうにないと思って私を駐車場で降ろしたのです。 そのホテルの中国人経営者は、私の腕にある痕跡はヘロインの使いすぎによるものだと思って、彼の車に私を乗せるのも拒みました。けれども、私の酒飲み仲間であった一人の警備員が救急車を呼んでくれたのです。 ● 現れた母の顔・主の祈り 私が運ばれている間、私の人生が私の前にぱっとひらめきました。私はこう思いました。 「私は死ぬのだ。これは人が死ぬ前に起こることで、自分の人生が現れるのだ」 私は無神論者でしたが、死後に命が存在するのだろうかと考えました。 それから、私の母の顔が私の前に現れ、こう言いました。 「イアン、あなたが今どんなに神様から遠く離れていても、もし心から神様を呼びさえすれば、神様はあなたに聞いてくださり、神様はあなたを赦(ゆる)してくださいます」 かつて私が神様のことで母と話した時から、すでに十年がたっていました。神が存在することを完全に否定してきた十年でした。けれども、母はまだ私のために祈っていたのです。 その後、私がニュージーランドに帰った時、私はメモしていたことを彼女に確認しました。神は母に私の顔を見させて、彼女にこう語っておられたのです。 「あなたの息子が死にかけています。今から彼のために祈りなさい」 がんこで反抗的な息子のことをあきらめなかった、我が祈りの母のゆえに、私は神に感謝しています。 この出来事より前に、私は東南アジアを旅行し、百万もの神々を見ていたので、「神様に祈るって、どの神様にだろう?」と思いました。けれども、母の顔は依然としてそこにありました。そして彼女が唯一祈ったのは、クリスチャンの神に対してでした。私は、母が私に主の祈りを教えてくれたことがあったのを思い出し、それを思い起こすくらいならできると思いました。 それに続いて起こったことは、試験室にいる大ぜいの人々に起こることと同じことです。つまり、私の頭の中は完全に空っぽになったのです。ところが、私は母がこう言っているのが聞こえました。 「あなたの心から、息子よ、あなたの心から祈りなさい」 私の心から祈りが出て来ました。「神様、もしあなたが現実におられるなら、そしてこの祈りが現実のものなら、私の母が私に教えてくれたあの祈りを私が思い出すのを助けてください。もし私の心の中に何か柔らかくて良いものが残っているなら、どうか私が主の祈りを思い出すのを助けてください」 私の目の前に、「私たちの罪をお赦しください」ということばが現れました。私は、「これは、私が今まで犯してきたすべての罪を赦してくださるように神に求めなければならないということなのだ」とわかりました。しかし、私はこう言いました。 「私は死の床で祈っている偽善者のような気がします。しかし、もしあなたが私を赦してくださることが可能なら、私の罪を赦していただくように誠実な思いであなたに呼ばわります」 神は聞き入れてくださったようでした。というのも、その祈りの別の部分が現れたからです。 「あなたに対して罪を犯した人々を赦しなさい」 かつて私を利用したり、私を中傷したり、私から奪い取ったりした人々を赦すのは、簡単そうに見えました。なぜなら、私は今まで自己弁護したり攻撃的になったりしたことは決してなかったからです。 しかし、私がそのことを神に話すと、私の顔から三十センチメートルほど離れた所に、その晩、タクシーから私を放り出したあのインド人の運転手の顔が現れました。私を置き去りにして死なせようとした彼を赦すことができるか、とその声は尋ねました。私には信じがたいことでした。私は決してそんなことをするつもりはなかったのです。私が何かをするつもりでいたとしても、彼を赦すことでは決してなかったのです! 私が彼のことについてさらに考えるひまもないうちに、私を車に乗せてくれなかったあの中国人のホテル経営者の顔が浮かんで来ました。そして、その声は、私が彼を赦すかと尋ねたのです。 何と言うことでしょう?! 私は、「これは何か頭の中だけの自分勝手な連想ではない」とわかりました。私はかつて本当のものを求めていました。確かに、今や私はそれを手に入れていたのです。ところが、私が彼らを赦さなければ、それらの顔が消え去ることはなかったのです。 さらに私は気付いたのです。「彼らは最後の二人にすぎない。では、彼らより前の諸々の人々のことはどうなのだろう?」と。 私は、これが現実のことだとわかって、神にこう約束しました。もし神が私の罪を赦してくださるなら、私はこの人たちを赦し、二度と彼らに向かって手を上げることはしません、と。私が彼らを赦すと、彼らの顔が消えました。 「あなたのみこころが、天において成るように、地上でも成りますように」 私は、「あなたのみこころ? 神のみこころ?」と思いました。それまで私は二十四年間自分勝手なことをしてきたのです! しかし、私は神に約束したのです。もし私がこの経験を経て生き延びるなら、私のための神のみこころを見出して、一生涯神に付き従っていきます、と。 その祈りをすると、私は神と和解したのだとわかりました。すると、すぐに救急車のドアが開き、私は車いすに乗せられ、病院に運ばれたのです。 ● 真っ暗な闇 医者たちや看護婦たちが駆け込んで来ました。彼らは私の血圧を測ろうと二度試みましたが、脈はありませんでした。医者たちは私の命を救おうとして、私に抗毒素剤とブドウ糖の注射をしました。 私は、私が自分の体から漂い出てしまうなら、そうなってしまうだろうことを意識していました。すなわち、死です。私は、これは決して怪しげな旅行でも幻覚でもなく現実のことだとわかりましたが、自分の体を離れて死ぬ意図は全くありませんでした。私は、もし必要なら、徹夜で目を覚ましていて、私の体の組織の中の毒と戦うつもりでした。 私は自分が回復用のベッドの上に置かれるのを感じた時、私の両腕の感覚を全く感じることができず、目を開けたままにしていることもできませんでした。私は首を動かすことができず、目は汗でいっぱいで、ほとんど見えませんでした。私は、目を閉じて安堵のため息をついたことを覚えています。 私が病院から確認をとることができていることですが、その時点では、私は十五分間、臨床的に死んでいたのです。 私にとって最も恐ろしかったのは、目を閉じた瞬間、私が突然ふたたびはっきりと目が覚めて、私のベッドのそばだと私が思った場所に立っていたことです。真っ暗な闇の中でした。私は、なぜ医者たちは電灯を消してしまったのだろうと思っていました。私は、電灯のスイッチを入れようと思い、壁を探して片手を伸ばしましたが、壁は見つかりませんでした。私はこう考えました。 「オーケー、もしかすると、私は一般病棟に移されたのかもしれない」 もし自分のベッドに戻ることができたら、電灯のスイッチを入れることができたはずですが、私のベッドは見つかりませんでした。私は、しばらくじっと立ったままでいるほうがよいだろうと思いました。しかし、とても暗いために、私の顔の前にある自分の手も見えませんでした。また、たとい私が右手を私の顔のところまで持ち上げても、それがわからないか、あるいは、通過してしまいそうでした。 「自分の頭がわからないはずはない」と私は自分に言い聞かせ、両手を私の顔のところに置きました。すると、両手は通り越してしまったようでした。それは最も不気味な感覚でしたが、その後に起こったことは、それよりもひどいことでした。なぜなら、私は自分の体のどの部分にも触れることができなかったからです。それでも、私には自分がすべての機能の備わった完全な一人の人間であるという感覚がありました。私には肉体の姿がなかっただけでした。私は実際に自分の肉体の外部にいたのだということが、今はわかります。なぜなら、だれかが死ぬ時、その人の霊は肉体を離れるからです。 私が次に思ったのは、「いったい私はどこにいるのだろう?」ということでした。というのも、きわめて濃密な悪が、私の周囲のいたるところの暗闇に浸透しているのを感じることができたからです。それはまるで、その暗闇が霊の次元を帯びているかのようでした。そこには完全な悪の存在者がおり、それが私のほうに動き始めました。私はまだ見ることができずにいましたが、その暗闇の中から何かが私を見つめていることを感じ取りました。 次に、私の右側で、「黙れ!」と叫ぶ声が聞こえました。私がその声から離れるように退くと、別の声が左側から、「おまえはここにいて当然だ!」と叫びました。 私は両手で自分を守るようにして、「私はどこにいるんです?」と尋ねました。 すると、三番目の声が答えました。「おまえは地獄にいるんだ。今、黙れ」 地獄は大きなパーティにすぎないと思っている人々がいますが、私はあなたにはっきり言いましょう、そこではあなたが自分のビールをつかむのはきわめて困難になり、自分の顔を見つけるのもきわめて困難になるでしょう! 私はその真っ暗な中で立っていました。永遠のために神への恐れを私の内に入れるまで、そうしていました。 「なぜ神はあなたをそこへ連れて行かれたのですか?」と尋ねるかもしれません。けれども、神はあとで私に、もし私が救急車の中であの死の床での祈りをささげなかったら、私は地獄にとどまったはずだと語られたのです。罪人の人生の最後の数秒間の祈りを聞いてくださるいつくしみのゆえに、神に感謝します。 「私は死の陰の谷を歩いても、わざわいを恐れません。あなたが私とともにおられるからです」(旧約聖書・詩篇23篇) ● 次々と押し寄せる光の波 私が神を私の主また羊飼いとして認めたのは、私が死ぬ直前でした。そして彼は私を導いて、あの死の谷を通り抜けさせてくださいました。この上なく暗い闇の瞬間、一つの明るい光が私の上で輝き、私を引いて外に出してくれたのです。歩いて出たのではなく、超自然的な仕方で上に移されるようでした。 私がその光の中へ引き上げられる時、その光は私の顔に触れて私の全身を包んでしまいそうでした。あたかも、その光が真っ暗な闇の中に突き入って、私を引き出してくれたかのようでした。私が振り返ると、その暗闇がいずれかの方向へ次第に消えていくのが見えました。そして、この光の力と臨在が私を引き上げて、私のはるか上にある円形の開いた所へ入れるのを感じることができました。ちょうど、微少なちりが太陽の明るい光線の中で捕らえられるのに似ています。 即座に、私はその開いた所に入りました。そして、そのトンネルを見下ろすと、その光の源が見えました。その輝き、すなわち、それから流れ出ていた力と純白は、畏れ多いものでした。 そして私が見つめていると、いっそう濃密な光の一つの波が、その源から急に発生し、信じられないほどのスピードでトンネルを下りました。まるで、私にあいさつするためであるかのようでした。 暖かくて心地良い一つの波が、私の全身を通り抜けました。私は今まで経験したことのないような、信じられないような、心地良い感じを覚えました。 そのトンネルを半分ほど進むと、光のもう一つの波が急に発生し、私のほうへ来ました。それが私に触れた時、私は、この上なくすばらしい平安が、前の時と全く同じ仕方で私を通り抜けました。それは完全な平安でした。それ以前に私が求めていた平安は、教育やスポーツや旅行など、可能なあらゆることにおける平安でした。けれども、それは私のもとには来ませんでした。ところが、この時の平安は、とどまり続けそうな生きた平安でした。というのも、この光は私の内部に沈殿したからです。 私が、あの暗闇の中にいた時には何も見えなかったのに、驚いたことに、今や、その光の中で、自分の手が霊の姿のようであるのが見えました。それは白い輝いた光で満ちていました。そのトンネルの終点から来ているのと同じ光でした。 私は進んで行きたいと思いました。そして私が動き始めると、光の別の波が来て、純粋な喜びと感激で私は包まれました。ちょうど、ニュージーランドで「最高の興奮」と呼ばれているものです。 その次に見たことで、私は、「びっくり仰天」しました。それは、白い火のように、あるいはダイヤモンドの山のように見え、描写しがたいほどの輝きできらめいていたのです。私がこの光のトンネルの終点で止まった時、私の左右も上方も虹色の光で完全に満ちているようであり、見渡す限り、無限に伸びているようでした。 私は一瞬、この輝きの中心にだれかが存在するのだろうか、あるいは、それは宇宙の中の善の力なのだろうかと思いました。それから、その光の中から声が聞こえ、こう言いました。 「イアン、戻りたいのですか?」 私は一瞬、それが理解できませんでした。「どこに戻るのだろう?」と私は思いました。 けれども、振り向いて私の肩越しに見ると、そのトンネルが暗闇の中へと戻って行くのが見えました。そして私は病院のベッドのことが思いつきました。私は自分がどこにいるのか、わかりませんでした。私から、「私は戻りたい」ということばが出て来ました。その声が応答して言いました。 「イアン、戻りたいのなら、あなたは新たな光の中で見なければなりません」 私が「新たな光の中で見る」ということばを聞いた瞬間、次のことばが私の前に現れました。 「神は光であられ、彼の内に闇は少しもない」(第一ヨハネ1・5) それは、南アフリカにいた時に私がもらったクリスマス・カードに書かれてあったことばでしたが、私は、それが新約聖書にあることばだとは知りませんでした。 私は自分の前にあるそれらのことばを見ているうちに、こう気付いたのです。 「この光は神から来ているはずだ。しかし、もしそうなら、私はここで何をしているのだろう? これは何かのまちがいだ、私はここにいるに値しないのだから。 彼が私の名前をご存知であり、私の思いも話しことばのようにご存知であるのなら、私は彼の御前で丸見えなのだ。彼は、私が今まで人生で行なってきたどんなことも見ることができるのだ。私はここから出て行くところなのだ」 私は引き返そうとして、岩盤を探しました。その下を這って進むか、自分がいる場所だと思っていたそのトンネルを通って戻るためでした。私が彼の臨在から引き返そうとすると、透き通った光の波が次々と私の上に洪水のように押し寄せてきました。 私に触れた最初の波で私の両手と体がひりひり痛んだ時、私は、愛が私の存在の奥深くにまで入って来るのを感じました。私はよろめいてしまうほどでした。それから、もう一つの波が来て、さらにもう一つの波が来ました。私はこう思いました。 「神様、あなたは私を愛することはできないはずです、私はとてもたくさん罪を犯してきました、私はあなたを呪ってきました、私はとてもたくさん戒めを破ってきました」 それでもなお、愛の波は私に来続けました。私が告白してことばを話すたびに、愛の波がそれに続きました。しまいには、私はそこに立って泣いていました。神の愛は何度も何度も私を貫いて洗いました。 私は、こんな不潔で汚れた人間を神が愛することができるとは信じられませんでした。しかし、私がまだ彼の臨在の中で立っていた時、その愛はますます強くなっていき、ついに私は、もしその光の中に踏み込んで彼を見ることさえできるなら、神がどういうお方かわかるだろうと感じるようになりました。 ● 地球に戻った目的 私はどんどん近くへ歩いて行きました。突然、その光が広がりました。私が見たのは、両足くるぶしの周囲を、まぶしいような白い衣をまとっておられる方の、はだしの足でした。私が見上げると、その光は彼の顔全体の毛穴から発散されているようでした。それは、あらゆる面から光と力を放つ、輝く宝石のようでした。 私の前にあるその輝いて澄んだ光景に完全に驚嘆している中で、私は、この方こそ確かに神にちがいないとわかりました。彼の衣は、ゆらめく光そのもので作られているように見えました。私は彼の目を見ようとして歩いて近づき、彼の御前に立とうとした時、彼はあたかもそれを望んではおられないかのように離れて行かれました。 彼が離れて行かれる時、全く新しい惑星の地球のように見えるものが私の前に現れるのが見えました。この新しい地球には緑の草があり、神の上にあったのと同じ光や輝きがそれに伴っていました。その野原には、水晶のように透き通った川が流れており、川岸には木々がありました。私の右の方には、起伏のある丘々や山々や青空があり、私の左の方には、花や木々のある草原がありました。それは、あのエデンの園あるいはパラダイスのように見えました。 私の体のすみずみが、それを飲み込みながら、「私はここの住人なのだ。私はこの場所のために造られたのだ。私はこの場所を探し求めて世界を旅してきたのだ」と言っていました。私は中に入って行って探検したいと思いました。ところが、そうしようとして前に進もうとした時、神が私の前に来られました。彼はこう言われました。 「イアン、あなたは見てきましたが、中に入りたいですか、それとも、戻りたいですか?」 想像してみてください、もしあなたが、死の床で祈った祈りにより、命からがらそこにたどり着いていて、もはや病気がなく、もはや死もなく、もはや苦しみもなく、もはや痛みもなく、もはや戦争もない場所を見ることが可能だとしたら、あなたならどうするでしょうか? 私が言うことを信じてください、私はこの地球に戻る計画は全く持ち合わせていなかったのです。私はこの残酷な世界に別れを告げて、すぐに中に入って行くつもりだったのです。 ところが、その瞬間、私が振り返って私の肩越しに見ると、私の母が私を見つめている幻をはっきり見たのです。彼女は私の人生で毎日私のために祈り、神の道を私に示そうと努めてきたのです。(私の家族の中で、母だけがクリスチャンでした) 私は、「もし私が今すぐに天国に入れば、母は、私が地獄に行ってしまったと考えるはずだ」と気付きました。なぜなら、私があの救急車の中で悔い改めて私の人生を神にささげたことについて、母が知ることはないからです。私はこう言いました。 「神様、私は入ることはできません。私は自分勝手な者にはなれません。私は帰って行き、母に、『あなたが信じていることは本当のことです』と告げなければなりません」 後ろを振り返ると、私の家族の全員と何千人もの人々が、遠く離れた所へと退いて行くのが見えました。私が神に、彼らはだれなのですかと尋ねると、彼は、「もしあなたが戻らなければ、あなたに見えるこれらの人々のうちの多くは、神について聞くチャンスを得ることは決してないでしょう」と言われました。私の返答は、私は彼らを愛してはいないというものでした。しかし、私がその感情を表現した時、神はこう言われました。 「しかし、私は愛しています。そして、彼らが私を知るようになることを望んでいます」 ● 完全ないやし どうやって私は戻ったのでしょう? 神は私に、頭を動かし、私の目から液体が流れるのを感じたら目を開けて見なさいと言われました。私は、私の右目が開き、ベッドの端にいるインド人の医者が鋭利な器具で私の足を刺しているのがわかりました。 彼が振り向いて私を見た時、彼は恐怖で打ちのめされ、彼の顔から血の気が引きました。そして、「死体が目を開けたぞ」と彼が思っているのが見て取れました。 私がまだ、自分が見てきたことを理解しようとしていると、神の御声がささやくのが聞こえました。 「子よ、私はあなたの命をあなたに返しました」 神に対する私の返答は、もしそれが本当なら、どうか私に体力を与えてくださり、私が首を回して、もう一方の目でも見れるようにしてください、というものでした。というのも、私はこの医者のおびえた顔を見つめてばかりいたからです。 神は私に左目を開ける力を与えてくださり、私はその部屋の戸口に数人の看護婦たちと用務員たちがいるのが見えました。彼らは戸口のところで立ったまま、口を開けて、じっと見つめていました。私は臨床的には十五分間死んでいましたが、今やとても生き生きとしていたのです! 私は首を動かそうとしました。そして、「私はこんなに長い間死んでいたのなら、残りの生涯は四肢麻痺患者になる可能性がある」と思いました。 私は神に、「私を完全にいやしてくださり、病院から歩いて帰らせてください。さもなければ、私を天国に連れ戻してください」と求めました。 それから四時間にわたり、私は体中に暖かいものと力とが流れるのを感じました。 その翌日、私は完全にいやされた状態で、その病院から歩いて帰りました。私はいやしを信じています。私は復活の力を信じています。私は、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架上で死なれ、死人たちの中からよみがえられたことを、そして、彼が復活であられ、命であられることを信じています。 ● これからすべきことは? 私が次にすべきことは何だったでしょうか? 私が尋ねるべきお方は、神以外にはいませんでした。神は私に、私は生まれ変わったクリスチャンであり、彼のみことば、聖書を読むようにと言われました。 それからの六週間で、私は創世記から黙示録まで読みました。みことばを読んでいくと、私が天国で見たどんなものも、この本の中に描写されていました。 黙示録の一章には、イエス様のことが書かれています。白い衣を着ておられ、御顔は太陽のように輝いており、七つの星がその御手にあります。彼は、アルファまたオメガであられる方、初めであり終わりであられる方です。 黙示録の二十二章には、命の川のことが書かれています。その川岸には木々があって実を結んでおり、それを飲んだ人々は二度と渇くことがありませんでした。私は、神の臨在の光が新しい天と新しい地球を光で満ちたものとして保っているのを見ました。太陽も月も灯火も必要とせずに、です。それは、彼の輝きと臨在が宇宙を満たすことになるからでした。 私はヨハネの福音書8・12の箇所で、イエス様が、ご自分は世の光であられ、ご自分のもとに来る者たちはもはや暗闇の中を歩くことはなく、命の光を持つようになる、と言われたことを知りました。 私は新約聖書の福音書や書簡を読み進め、ヨハネの福音書3・3にある「生まれ変わること」や、罪が赦されていることを確信すること、主の御名を呼び求めることができることについても読みました。そして、イエス・キリストは生きておられることも知りました。 モーリシャス島でのこの経験をして以来、主は私を、フルタイムのクリスチャンとしてのミニストリーへと導いてこられました。 私はしばらくの期間、ニュージーランドで私の姉妹および彼女の夫といっしょに農場で日々を過ごしました。そして、そこで神は私の生活を落ち着かせてくださいました。 それからの六ヶ月間、私はハミルトンにある私の所属していた地域教会で過ごしました。 1983年の半ば、私は伝道団体『ユース・ウィズ・ア・ミッション』に参加し、六ヶ月間、彼らといっしょに太平洋を航海し、イエス・キリストの愛のメッセージをその地域に伝えました。 その後、私は、私が東南アジアに帰ってマレーシアのまだ福音が伝えられていない部族の人々に奉仕することを主が求めておられると感じました。三年間、私はマレーシアのサラワクのジャングルやマレーシア半島で働きをしました。その時期、私の妻となるジェーンと出会いました。彼女はカナダにある彼女の母教会から短期宣教旅行で来ていたのです。 1988年にニュージーランドに帰る前、私はシンガポールにある教会で牧会スタッフに就いて働きをしました。その後、その同じ年のうちにジェーンと私はカナダで結婚しました。私は、宣教の働きから一年間休暇を取り、その時間を私の妻のためにささげるようにと主が私に言われたと信じています(申命記24・5)。 その後、私たちはカナダの教会でフルタイムで働きました。ふたたび私の所属していた地域教会で三年間働いた後、主は私に、三年半の間、旅をして私の体験について語るようにと言われました。私たちはそれを実行してきました。 そして現在、私たちはニュージーランドに落ち着いて、主にお仕えし、家族を養い育てることを希望しています。私たちの人生における神の数々の恵みに、私たちはただ驚くばかりです。 私たちの願いは、神の無条件的な愛とあわれみのメッセージを、私たちが出会う一人一人に伝え続けていくことです。 |
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●地獄は本当にあります!【2】 《地獄は本当にあります、 作り話ではありません!》 …アンジェリカ・ザンブラーノ(エクアドル)の体験 ●自殺して地獄に行った15歳の少女 ●自殺者たちの証言・聖書の証言 |
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