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(モーリス・ローリングズ医師は、ジョージ・ワシントン大学医学校を優等で卒業し、現在、アメリカ・テネシー州チャタヌーガの診断センターの心臓血管専門医です。
彼はドイツ・フランクフルトにある第九十七総合病院の心臓病学のチーフにもなりました。
彼は、アメリカ国防総省の統合参謀本部における医師に昇格され、数々の将軍や、大統領となる前のドワィト・アイゼンハワーらの担当医となりました。
ローリングズ氏はチャタヌーガのテネシー大学医学部の准教授でもあり、臨死体験に関する数々の本も著しています)

● 突然死んだ47歳の男性
以前、私はある患者の蘇生手術に関わりました。彼は、運動することで胸痛をわずらう人でしたが、その胸痛を病院で再現させようとしていた時に亡くなりました。その経験によって、私たち二人の人生が一変したのです。
その男性は四十七歳の郵便配達人であり、病院の踏み車の上で運動を行なっていました。私たちは、その運動により、彼が家庭で運動中に起こると言っていた胸痛が再現されることを予想していました。
ところが、その胸痛が起こる代わりに、心電計は突然動かなくなり、彼はばったり倒れて死んだのです。彼の体は、動き続けている踏み車から投げ飛ばされました。私は外部から心臓部を圧迫し、看護婦たちは呼吸器具を用意しました。
| 《 チャールズ・マケイグ 》 |
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ところが、その患者はこう言い続けたのです。
「ドクター、止めないでください!」
私が止めて何かに手を伸ばそうとするたびに、彼は、
「私はまた地獄にいる!」と悲鳴を上げたのです。
ほとんどの患者は、「手を放してください。私の肋骨が折れそうです」と言います。それで私は、何かがおかしいとわかったのです。
私たちは、その床の上で彼の鎖骨静脈の下にペースメーカーを取り付けなければなりませんでした。彼は身もだえしており、血がいたるところにほとばしり出ていました。
私は圧迫を続けながら、彼に、しゃべるのをやめて、彼の「地獄」の話で私をわずらわせないでくれと言いました。私は彼の命を助けようと努力しているのに、彼は死に際に経験しているおぞましい悪夢のことを私に話そうとしていたのです。
それから彼が私に願ったことは、無神論者である私にとってこの上ない侮辱となることでした。彼はこう言ったのです。
「ドクター、私のために祈ってください」
私は彼に、「あなたは頭がおかしくなっている、私は牧師じゃないんだ」と言いました。
ふたたび彼は私に祈ってくれと言いました。看護婦たちは期待感をもって私を見つめており、「あなたはそうしなければなりません。死のうとしている人のお願いなんですから」という表情をしていました。
それで私は、そうしたのです。私は、「信じさせる」祈りを取り繕いました。無意味なことでした。私はただ彼のことを済ませてしまいたかっただけなのです。
それで私は彼に、「私の後について言いなさい」と言いました。私は困惑しながら、こう言いました。
「私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。後について、そう言いなさい。
どうか私を地獄から出してください。そう言いなさい!
そして、もし私が生きるなら、私は確かに、いつまでもあなたのものとなります」
私がその箇所をよく覚えているのは、彼がそれ以来ずっと「確かに」そうなっているからです。
私たちがペースメーカーを調節しようとして心臓マッサージを中断するたびに、彼は地獄に戻っていて悲鳴を上げたのです。そして彼は体を引きつらせ、青ざめ、呼吸が止まり、心臓は鼓動をストップしたのです。
そして、私はふたたび心臓マッサージをして、ふたたび彼を蘇生させることをしました。私がやめるたびに、彼は地獄に戻っていたのです。
しかし、私がその祈りを言ってからまもなく、身もだえは全くしなくなり、もう闘うことはしなくなりました。彼は落ち着いていました。
● 天国での母親との再会
翌日、私はまだ依然として大いに疑問を抱いていましたが、彼に、地獄にいることについて私に話してほしいと言いました。私は彼に、看護婦たちはおびえて死んでしまいそうなくらいだったことや、私もびっくり仰天したことを話しました。
彼はこう言いました。
「地獄ですって? あなたが言われたあの祈りの後、私が覚えているのは、生きていた時の母と会ったことです。といっても、私が三歳の時に母は亡くなりましたが」
不可能なことです! 彼のおばが翌日に持参した写真のアルバムから、彼は自分の母親を当てました。しかし、彼は現実には母親と一度も会ったことがなかったのです。
彼は母親の服装から彼女を当てました。彼は天国で彼女と会っていたのです。
起こったことは、次のことのようです。すなわち、彼はあの地獄の体験を、彼の記憶の中の苦痛ではない部分へと昇華させていたのです。そして、回心の後、彼は天国の体験をしたのです。
私がその男性の機嫌をとるために祈った、あの「ばかげた」祈りは、彼を回心させただけでなく、私をもそうさせたのです。私たちは二人とも新生したクリスチャンになったのです。
● 地獄を体験している人々
この体験をするよりずっと前から、私は「回復」方法を専門にしており、アメリカ心臓学協会に属する者として、突然死からの回復行為のやり方について世界中の医学校で教えていました。患者が「ずたずた」の死の状態であっても人々がやり方を知っていれば、そういう臨床的に死んでいる人々のうちの五十パーセントは、ふたたび蘇生させることができます。心肺機能蘇生法、すなわち、CPRについての教えは、1973年以来行われており、どんどん進歩しています。
問題なのは、「臨死体験」(NDE)という用語が、あらゆる種類の体験を入れるゴミ箱のようなものとなっていることです。中には、明るい光を体験していても全く「死」とはちがうものもあります。私たちは、心臓と呼吸が停止する臨床的死にだけ限定して調査し、その一連の出来事を分析しようと努めています。
最初に死ぬ組織は、脳です。なぜなら、それは血液の流れに最も敏感だからです。四分間を限度に、脳細胞の中で組織の死が起こり始めます。CPR(心肺機能蘇生)をしないと、ふつうは十分間で脳に障害が生じます。
例外もあります。オレゴン州での回復事例があります。ある男性が凍った水の中に四十五分間浸かりましたが、回復に成功し、後遺症も全くありませんでした。
私が臨死体験というテーマを研究するようになってわかったのは、私たちがなんとか回復させた最初の二百の事例のうち、およそ十八パーセントは「地獄」の事例であり、そのパーセンテージは、それ以後、多くなっているということです。現在は、さらに多くの人々が情報を収集しており、地獄を体験した事例として報告されているものは今や三十六パーセントになっており、五十パーセントに近づいています。
地獄の出来事を体験した多くの人々は、その恐怖ゆえに、自分の意識からそれを事実上遮断しています。思い起こされた時、地獄の炎のことで悲鳴を上げることもあります。
ヒューストンのある映画俳優の体験について私は知っています。彼の大動脈弁(心臓弁)を治療していた時、彼は地獄についての体験をしました。彼は自分の周囲がすべて炎であるのを見、ある黒い姿が近づいて来るのを見ました。
彼女は彼に、いっしょに加わるようにと手招きしました。彼が彼女にだれですかと尋ねると、彼女は、「私は死の使いから送られた者だ」と言いました。彼女は地獄の広間にいました。彼は、自分は彼女について行くつもりはないと言いました。この出来事で、彼の生活がすべて一変しました。
地獄についての臨死体験をした大ぜいの人が火の池を見ている一方で、暗闇だけ見ている人々もいます。
その後者の一人は、大学でフットボールを観戦していた医師でした。目を見張らせる走りで彼はとても興奮し、ばったり倒れて死にました。そのスタジアムのかかりつけの救急隊員が彼の手当をしました。
彼は「死んで」いた間、「私は地獄の中にいる!」と悲鳴を上げ続けました。彼の妻がベッドのそばでひざまずき、彼がそこから抜け出せるよう祈っていました。この体験が文字通り、「恐怖で彼を地獄から抜け出させた」(びっくり仰天した)ため、彼はクリスチャンになりました。
● サタンによる偽物の「光」体験
臨死体験をし、自分は天国にいたのだと信じている人で、イエス様を信じてはいない人々が大ぜいいます。彼らが最初に死んで自分の体から抜け出る時、トンネルの端で目撃する「光の天使」が、彼らを無条件的に歓迎しているようです。彼らがそれまでどんなことをしてきても、です。聖書学者たちが述べているように、サタンは光の天使のように現れて大ぜいの人をだますことができるのです。※
※「なぜなら、サタン自身、光の使いに変装しているからです」(新約聖書 第2コリント11・14)
ですから私は、「彼らはだれの光を目撃したのだろうか?」と自問するのです。
ある駐車場で二人の人を殺した男が捕まり、胸に三発の銃弾を受けました。それから、彼はこの「すばらしい」光の体験をしたのです。
しかし、蘇生した後、彼は私に、「神は忘れっぽい神なのかね?」と尋ねたのです。というのも、その光の使いはそもそも神の御使いではなかったからです。この男自身が、自分の体験としてふさわしいことであることを疑ったのです。
他方、十字架に付けられたキリストの光を見て、それが彼らの信仰を確証するのに役立っており、しばしば彼らの人生で最高の瞬間となっている人々もいます。彼らは死ぬ時に自分に何が起こることになるか、今や知っているのです。
私は、「光」の体験の多くはサタンの計画的な惑わしであって、サタンは人々に、「天国の門はだれにでも開かれているのだ」と思わせたいのだ、と信じています。臨死体験から、「オメガ・フェイス」と呼ばれる宗教を作り出した人々もいます。これは、その霊を吟味せず、自分が出会った光がどういう光なのかをよく調べていない一例です。
● さまざまな臨死体験
だれでも、自分が死ぬ時に何が起こるのかを知りたいと思っています。そして、死後にも命があることを、臨死体験のある1100万人の人々が主張しています。臨床的死を経験した人々は、死の瞬間は全く苦痛を経験しなかったと言っています。彼らは肉体から抜け出したにすぎません。悪い体験をした人々は、自分は死ぬのがこわいと言っています。彼らは自分が見た地獄を恐れているのです。
ある盲人の事例があります。彼は臨死体験の間、目は完璧に良く見ることができました。また、死の経験から戻った後、彼は、だれが存在していたか、彼らは何をしていたか、さらに、彼らは何を着ていたかを思い出すこともできました。ただし、彼は自分の肉体にふたたび戻ると、盲目の状態に戻りました。
「この世からあの世へトンネルか何かを通って入り、光線あるいは光の天使を見た」と報告する人々もいます。交通事故を経験した人々が、車が衝突する前に自分の人生が概観された次第を説明することがよくあります。一瞬のうちに丸一日のことが概観されるのは、可能だったようです。
彼らは、それから次の世界に進んで行き、そこで、すでに亡くなっている友人たちなどと出会っています。そして、美しいエデンの園で腕を組んで散歩したり、真珠のような白い門や、金の道を見たりし、越えられない障壁に出会ったりするようすを描写しています。その理由が、かなたでは裁きがあり、こちら側では「選り分け」がなされるためなのかどうか私は知りませんが、たいてい、その障壁のところで彼らは苦痛のこの世に連れ戻されます。
この世では、私たちが彼らの胸部を圧迫して肋骨を折ったり、電気ショックを与えたりしているのです。私たちが何を行なっているにせよ、この世は苦痛の存在する世界であり、彼らがすばらしい体験をしていたのであれば、この世には戻りたくなかったために憤慨するのです。
以上が、この臨死体験の一連の出来事なのです。臨死体験をした人はだれも、これととても似た経験をしたのです。酸素不足になればこれを再現できるというわけではありません。麻薬がこれを再現できるというわけでもありません。血中の二酸化炭素濃度が高ければできるというわけでもありません。ほかのどんなものでも可能ではありません。
地獄の体験をした人々には、共通点もあります。一連の出来事がとても速いのです。ただちに地獄の穴の中に進む人たちもいます。
蘇生した人々のうち、六十パーセントの人々は何の体験もしていません。つまり、四十パーセントの人々だけが臨死体験をしています。もし、その人が新生しているクリスチャンなら、彼らは自分の夢がかなったのです。彼らは十字架にかけられたキリストと会っています。そして、彼らは何らかの仕方で、その光の存在者が神の御子イエス・キリストだとわかるのです。
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