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天国に行くための準備…第3課
どうすれば天国に入れてもらえるのか?
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(1)何からの救いか?
 これまで、神について、罪について学んできましたが、今回は、地獄に行かず天国に行く方法、すなわち、神が備えてくださった救いについて学びます。そもそも何から救われる必要があるのか、ということを考えてみなければなりません。聖書はこう言っています。
「御子(イエス・キリスト)を信じている者は永遠の命を持っている。しかし、御子に対して聞き入れない者は命を見るようにはならず、かえって神の御怒りがその者の上にとどまっている」
(ヨハネ3・36)
「それゆえ、彼(イエス・キリスト)の血によって、今や、義とされた私たちは、彼を通して御怒りから救われるのは、なおさらのことです。」
(ローマ5・9)
「来ようとしている御怒りから私たちを救い出してくださるイエス…」
(第一テサロニケ1・10)
 すなわち、この「救い」を受ける前の人間は、神の怒りのもとにあり、「救い」は、その神の怒りから救われることである、ということです。新約聖書は、この神の怒りに関して詳しく記しています。
「あなた(神)の怒りが来ました。そして死人たちが裁かれ、あなたのしもべである預言者たち、また聖徒たち、また小さい者も大きい者もあなたの名を畏れる者たちが裁かれ、地を滅ぼす者たちを滅ぼす時が来ました。」
(黙示録11・18)
「御怒りと、神の正しい裁きの現われとの日における御怒りを、あなたは自分のために蓄えています。」
(ローマ2・5)
 つまり、「救い」を受け取っていない人にとって、神の御怒りの時とは、神に裁かれる時をさしています。「罪の報酬は死です」(ローマ6・23)とあるように、罪に対する神の裁き、刑罰は、死であり、永遠の滅びなのです
「臆病な者たちと、不忠信な者たちと、忌み嫌うべきものとされた者たちと、殺人者たちと、淫行する者たちと、魔術師たちと、偶像崇拝者たちと、うそを言うすべての者たちにとって、彼らの受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。それは第二の死である」
(黙示録21・8)
「彼は、神をわきまえずにいる者たちと、私たちの主であられるイエス・キリストの福音に聞き従わないでいる者たちに報復されます。  彼らは…刑罰として永遠の滅びを受けるようになります」
(第二テサロニケ1・8、9)
 何からの救いかを要約すれば、それは神の裁きを地獄で永遠に受け続けることからの救い、と言うことができます。
 地獄はだれ一人として行きたいと思わない場所です。だからこそ救われなければならないのです。そしてそのチャンスはこの地上にいる間だけなのです。
 神ご自身が、人間が救いを受け取ることを願っておられるのです。
「主は、ある者たちが遅いと思っているように、約束を遅らせておられるのではなく、私たちに対して辛抱しておられるのです。
 だれも滅びることを望んでおられず、すべての者が悔い改めに至ることを望んでおられます」
(第二ペテロ3・9)
 では、人間が救いを受け取ることのできる道を、神はどのように用意してくださったのかを、次に見ることにしましょう。

(2)どうやって救いがもたらされたのか?
「神は、罪を知られたことのない方を私たちの代わりに罪とされたからです。それは、私たちが彼の内にあって神の義となるためです」
(第二コリント5・21)
「キリストは、私たちのために呪いとなられて、私たちを律法のその呪いから買い戻してくださったのです」
(ガラテヤ3・13)
 罪ある人間が救われるためには、その人の罪が取り除かれなければなりません。清くならなければ、清い神のもとに行くことはできないからです。神は、罪のないご自分の御子イエス・キリストの上に、人間のすべての罪を負わせてくださり、キリストを人間の代わりに罪、また、呪われたものとされ、こうして人間が罪の赦しを受けることができるようにされたのです。
「彼は自ら、ご自分の体で、あの木の上で、私たちの罪を負ってくださいました。それは、私たちが罪には死んで離れたものとなって、義によって生きるようになるためです」
(第一ペテロ2・24)
「私たちはみな、羊のように迷い、おのおの自分の道に向かって行った。そしてヤーウェは、私たちすべての者のとがを、彼(イエス・キリスト)に負わせた」
(イザヤ53・6)
 神は、私たちに対する罪の問題を完全に解決してくださいました。これははるか昔から神が計画されたことでした。ただし、罪を犯した人間を滅びから救うことは、神の義務ではありません。それは神の恵みの行為であり、神の偉大な愛からなされたことです。
「神は、生まれたひとり子であられるご自分の御子をこの世にお遣わしになりました。それは私たちが彼を通して生きるようになるためでした。このことによって神の愛が私たちの内に明らかにされたのです。
 私たちが神を愛したのではなく、彼が私たちを愛してくださり、私たちの罪のためになだめの供え物としてご自分の御子をお遣わしになりました。このことの内に愛があるのです」
(第一ヨハネ4・9、10)
「あなたがたは、その恵みによって、信仰を通して救われているからです。そして、これはあなたがたから出たものではありません。神の贈り物です」
(エペソ2・8)

(3)どうやって救いを受け取るのか?
 神が用意してくださった『救い』というプレゼントも、人間の側が受け取ろうとしなければ、実現しません。聖書で述べられている、救いを受け取る方法を見てみましょう。
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死人たちの中からよみがえらせてくださったと信じれば、あなたは救われるということです。なぜなら、心で信じて義に至り、口で告白して救いに至るからです」
(ローマ10・9、10)
 この救いを受け取るためにすべきことは、イエス様を自分の主(主人・支配者)と信じて告白する(口で言い表わす)ことです。
 もし、あなたがまだこの『救い』を受け取っておらず、今受け取りたいと願うなら、すなわち、地獄に行かず天国に行きたいと願うなら、今、声を出して神様の前に心から次のお祈りをしてください。

『天の父なる神様、私は今まで私の命を造(つく)られた神様から離(はな)れて、自分勝手(じぶんかって)な生き方をしてきました。
 しかし今、私は神のひとり子のイエス様が私の罪(つみ)を負(お)って、私の身代わり(みがわり)となってくださったことを信じます。
 私のすべての罪をお赦(ゆる)しください。
 今、私はイエス様を私の救い主(すくいぬし)として、また、主(しゅ)として受け入れます。
 これから私は神様の子どもとして生きます。
 どうか私をお導(みちび)きください。
 イエス様のお名前によってお祈(いの)りいたします』


 このお祈りをささげた方は、今、救いを自分のものとして受け取りました。
 今やあなたは神の子どもとなっており、あなたがイエス様を主として歩み続けるかぎり、いつ死んだとしても、地獄にではなく、天国に行くことができます。
 イエス様はこう約束しておられます。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。私のことばを聞いて、私をお送りになった方を信じている者は、永遠の命を持っており、裁きの中には至らず、死から命の中に移っています」
(ヨハネ5・24)
 救いを受け取った人は、このみことばの通り確信をもって生きることができるのです。

(4)どうやって救いを保つのか?
「神は、生まれたひとり子であられるご自分の御子をお与えになったほどに世を愛されたからである。それは、彼を信じる者がみな、滅びることなく、永遠の命を持つようになるためである」
(ヨハネ3・16)
 入学試験に合格したからっといって、学校を卒業できるわけではありません。入学後に、卒業に必要なさまざまな試験をパスしていくことが必要になってきます。退学させられるような生活を続けているなら、「私は入学合格証書を持っています」と主張しても、卒業させてはもらえません。
 イエス様を一度受け入れれば、あとは何をしていても天国に行けるのでしょうか?
 そうではありません。これは、多くの人々が誤解していることであり、また、非常に重要なことです。
 イエス様を主と告白するとは、イエス様を自分の全生涯、全生活の主人、支配者として従っていく決意を言い表わすことです。
 ですから、自分勝手な生活をしていながら、「私の主(主人、支配者)はイエス様です」と言うのは、あり得ないことです。
 そもそも、イエス様を「信じる」と言う時に、単に「存在を信じる」とか「正しいと思う」という意味で理解してはいけないのです。
「あなたは、神はおひとりであられると信じています。立派なことです。しかし、悪霊どもも信じており、身震いしています。
 空虚な人よ、信仰は、行いなしには死んだものであることを知りたいのですか?」
(ヤコブ2・19、20)
 悪霊たちが信じているような信じ方であってはいけないのです。そもそも新約聖書で「信仰」と訳されていることばは、原語では「忠信(忠実・信頼)」という意味があります。
 つまり、イエス様を信じるとは、イエス様に忠実に従って生きること、心から信頼して行き続けることなどが含まれているのです。悪霊どもは、そのような信じ方はしていません。
 この真の意味でイエス様を信じている人こそ、本当のクリスチャンであり、天国に入ることができる人です。
 「私はイエス・キリストが存在したことを信じています」、「私はイエス様は救い主であり主であると知っています」、「私は洗礼(バプテスマ)を受けており、信仰歴が長いです」、「私はさまざまな教会活動や奉仕に励んでいます」…
 これらはどれも、それだけで天国に入る保証でも条件でもありません。
 今現在、イエス様に忠信な者として、イエス・キリストを自分の人生の主人、支配者として生活しているかどうか、それがとても大切なのです。
「主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば救われます」
(使徒16・31)
 救いを受け取ることは、とても簡単なことです。イエス・キリストを自分の主として信じ、受け入れるだけでよいのです。
 ただし、それを保っていくことも重要です。
 それは、狭い道を進む歩みでもあります。
 イエス・キリストはこう言われました。
「私に『主よ、主よ』と言っている者がみな天の御国に入るようになるのではありません。天におられる私の父のみこころを行っている者が、入るようになるのです」
(マタイ7・21)
 これは心にしっかりと受けとめるべきことばです。イエス様を主と呼んでいる人でありながら、天国に入れない人々、すなわち地獄に行く人々がいるのです。続きを読んでみましょう。
「その日、大ぜいの者が私に言います。
 『主よ、主よ、あなたの御名によって私たちは預言し、あなたの御名によって私たちは悪霊を追い出し、あなたの御名によって私たちは多くの力あるわざを行ったではありませんか?』
 すると、それから私は彼らにこう告白します。
 『いまだかつて私はあなたがたを知ったことはありません。私から離れ去れ、不法を働く者たち』」
(マタイ7・22〜27)
 ここで言われている人々は、イエス様の名の権威を知っており、預言をしたり、悪霊を追い出す権威も知っており、多くの奇跡を行なう人々です。彼らは救われたばかりのクリスチャンではありません。聖書の真理を学んできたクリスチャンたちです。彼らを通して多くの人々が救われたり、いやされたり、悪霊の束縛から解放されたことでしょう。
 彼らの中には、使徒、預言者、伝道者、教師、牧師などの指導者たちもいることでしょう。大ぜいの人々が、彼らを通して現される数々の偉大な働きや聖霊の賜物の現れを見たことでしょう。大ぜいの人々が、彼らが教える深い真理の教えを聞いたことでしょう。大ぜいの人々が、彼らの集会に集ったことでしょう。彼らは有名で尊敬されていたかもしれません。
 そのような人々でさえ、救いを失ってしまって、地獄に行くことがあり得るのです。彼らは「不法」を行なう者たちと言われています(23節)。これは、神の真理のことばを知っていながら、 実行しなかった(26節)人々です。
 「不法を行なう者」は、次の箇所にも登場します。
「人の子(イエス・キリスト)は彼の御使いたちを遣わします。すると、彼らは彼の御国の中から、あらゆるつまずきと、不法を行う者たちとを集め、火の炉の中へ投げ込みます。
 そこには泣き悲しみと歯ぎしりがあるようになります。その時、義人たちは彼らの父の御国で太陽のように光を放つようになります。
 聞く耳を持っている者は聞きなさい」
(マタイ13・41、42)
 この「不法を行なう者」も、「火の炉」、すなわち、地獄に投げ込まれるのです。
 神のことばを知識として知っているだけでは、不十分です。それを実行する必要があるのです。イエス・キリストを信じる信仰は、行動を伴う必要があるのです。
「信仰も、もし行いを持っていないなら、それだけでは死んだものなのです」
(ヤコブ2・17)
「空虚な人よ、信仰は、行いなしには死んだものであることを知りたいのですか?」
(ヤコブ2・20)
 これは、「救い」を受け取るための条件として何らかの善行をする必要がある、と言っているのではありません。本当の信仰は、実践を伴うのが当然であると言っているのです。
 入学試験を受けて学校に入るのと同様に、人はイエス様を信じて『救い』に入ります。
 しかし、それだけで『卒業』が保証されるわけではありません。取得すべき単位を取得していって初めて卒業できるのと同様に、『救い』に入った後も行動が伴っていかなければならない、ということなのです。
 どういう行動が伴わねばならないのでしょうか?

(5)愛することが、なぜ重要なのか?
「だれでもこの世の資産を持っていながら、自分の兄弟が必要を覚えているのを見ても、彼からあわれみの心を閉ざすなら、どうして神の愛がその人の内にとどまっているでしょう?
 私の小さい子どもたちよ、私たちはことばによってではなく、口先によってでもなく、行いと真実とをもって愛しましょう。そして、このことによって、私たちは自分が真理に属しているとわかるのです」
(第一ヨハネ3・17〜19)
「私たちは、自分が死から命へ移ったことを知っています。私たちは兄弟たちを愛しているからです。兄弟を愛していない者は、死の内にとどまっています。
 自分の兄弟を憎んでいる者はみな、人殺しです。人殺しはみな、自分の内にとどまるものとして永遠の命を持ってはいないことを、あなたがたは知っています」
(第一ヨハネ3・14、15)
 愛していない人は、「死の内にとどまっている」、すなわち、救われていない状態にいるのです。イエス・キリストは、こう言われました。
「あなたがたに新しい命令を与えます。
 それは、あなたがたが互いに愛し合うことです。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うことです」
(ヨハネ13・34)
「彼の命令とは、私たちが彼の御子イエス・キリストの御名を信じ、彼が私たちに命令をお与えになったように、私たちが互いに愛し合うことです」
(第一ヨハネ3・23)
 どうして愛することが重要なのでしょう?
「あなたがたは互いを愛すること以外、だれにも、何も負債があってはいけません。
 なぜなら、他の人を愛する者は、律法を満たしているからです。
 なぜなら、『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。欲望を抱いてはならない』という戒めや、他にどんな戒めがあっても、『あなたはあなたの隣人を自分自身のように愛さなければならない』という、このことばに要約されているからです。
 愛は隣人に悪を働きません。ですから、愛は律法を満たすものなのです」
(ローマ13・8〜10)
「律法全体は、『あなたの隣人を自分自身のように愛さねばならない』という一つのことばの中に満たされているからです」
(ガラテヤ5・14)
 旧約の時代には、神の民は律法を守ることが要求されました。しかし新約の時代の今、クリスチャンに要求されているのは、愛することです。神の子どもたちには、そのための神の愛がすでに与えられています。
「私たちに与えられた聖霊を通して、神の愛が私たちの心の中に注がれている」
(ローマ5・5)
 ですから、神の子とされたクリスチャンは、自分には愛がない、あるいは、自分は人を愛することはできない、と言い訳(いいわけ)できません。愛することは可能なことなのです。愛することをしない人は、みじめな結末に至ることになります。
「それから彼は、左にいる者たちにも言います。『呪われてきた者たち、私から離れて、悪魔と彼の使いどもに用意されてきた永遠の火の中へ行け。
 なぜなら、あなたがたは、私が空腹になった時、私に食べさせず、私が渇いた時、私に飲ませず、私がよその者であった時、私を迎え入れず、私が裸であった時、私に着させず、私が病弱の時や牢の中にいた時、私を見舞わなかったからです』
 それから彼らも彼に答えて言います。
 『主よ、いつ我々は、あなたが空腹でいたり、渇いていたり、よその方であったり、裸でいたり、病弱でいたり、牢の中にいたりするのを見て、あなたにお仕えしなかったのですか?』
 それから彼は彼らに答えて言います。
 『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらの最も小さい者たちの一人に行わなかったのは、この私にも行わなかったのです』
 こうして、この者たちは永遠の懲罰の中へ去って行き、義人たちは永遠の命の中へ去って行くようになります」
(マタイ25・41〜46)
 この人々はイエス様に対して「主よ」と呼びかけています(44節)。彼らはイエス・キリストが主であられることを知っていたのでしょう。
 しかし彼らは「これらの最も小さい者たちの一人」が困っていても、顧みようとはしませんでした。そして、「この者たちは永遠の懲罰の中へ去って行く」(46節)ことになるのです。
「私の兄弟たち、ある人が自分は信仰を持っていると言っていても、行いを持っていないなら、何の益になるでしょう? その信仰は、その人を救うことができるでしょうか?
 もし、兄弟か姉妹が裸であり、その日の食物に事欠いていて、あなたがたの中のだれかが彼らに、『平安の内に帰りなさい。体を暖かくし、満腹していなさい』と言っても、体に必要なものを彼らに与えなければ、何の益になるでしょう?
 そのように、信仰も、もし行いを持っていないなら、それだけでは死んだものなのです」
(ヤコブ2・14〜17)
 このような人々の信仰は「その人を救うこと」(14節)のできない、死んだものなのです。
「みことばを実行する者となりなさい。ただ聞くだけの者となって、自分をだましていてはいけません」
(ヤコブ1・22)
 洗礼を受けたから、昔イエス様を信じていたことがあるから、教会員だから、信仰歴が長いから、たくさん献金したから…だからといって、それだけでその人が天国に入る、などとは聖書は言っていません。
 マタイの福音書7・21は、天国には、「天におられる私の父のみこころを行っている者が入るようになる」と記しています。

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