● トラウマ!
私がこの体験(1998年11月23日)から戻って落ち着きを取り戻し、ふたたびふつうの人のようになるまで、一年かかりました。私は、その恐怖によって、とても気が動揺しており、トラウマで苦しんでいました。そのため、神が私たちを何から救ってくださったかを証しする仕方も、また、そのことをどんなに感謝すべきであるかについても、私の見解は一変しました。
私は妻にもここに来てくれるように頼みました。彼女が居間で私を見つけた時に何が起きていたかを、みなさんに話してもらうためにです。私はその部分については覚えていないからです。
(ビルの妻アネットの証言)
私が目を覚ましたのは、午前3時23分ごろでした。私がそのことを覚えているのは、デジタル時計を見たからです。私は、ビルが私のとなりにいないことに気付きました。そして私たちの居間から悲鳴が聞こえてきました。私は廊下を進んで降りて行きました。私は夫を見つけましたが、彼はそれまで私が一度も見たことのない格好をしていました。
だれでもビルと知り合えばわかることですが、彼は性格が非常に控えめで、非常に穏やかで、専門家気質の人です。彼は、興奮しやすかったり、何かに感情的になったりするようなタイプでは決してありません、ただし、神が事をなしておられる場合でなければです。
私が見ると、そこで彼はトラウマで苦しんでいました。まさにトラウマで苦しんで頭を抱え、両手で頭を抱えながら泣き叫んで、悲鳴を上げていました。彼は私たちの居間の床の上で胎児の姿勢をしていました。私はどうすればよいか、わかりませんでした。私は、彼が心臓発作を起こしているのだと思いました。私がすぐに祈り始めると、彼が泣き叫んでこう言いました。
「主がこのことを私の頭の中から取り除いてくださるように祈ってくれ! 主は私を地獄に連れて行かれたのだ。私の体が死んでしまいそうな感じがする、私にはこれをどうにもできないんだ」
それで、私は彼の上に身をかがめて祈り続けました。そして10分か20分くらいすると彼は落ち着いてきました。彼はまさにトラウマで苦しんでいる状態で、ちょうど、ベトナム戦争から帰った人が、何らかの再発的な出来事や恐ろしい交通事故に遭い、そこで追体験をしているのと似ていました。
それは、だれかが何かの悪い夢を見て目が覚めたようなことでは決してありませんでした。私は、ただそのことを証言したかったのです。
(ビル・ウィーズ)
私の妻と私は日曜日の夜の集会を終えると、いつものように帰宅して眠りに就きました。
午前3時ごろ、私は連れ去られました。私は戻るまで、自分がどうやってあの場所にたどり着いたのか、わかりませんでした。私が戻ってから、主が説明してくださったのです。
● 独房の中
私はすぐに刑務所の独房の中に落とされました。みなさんが想像するような、ふつうの刑務所の独房と同じようなところで、ごつごつした大きな石の壁があり、扉には格子がありました。
私は自分がとこにいるのか、まだわかりませんでした。わかっていたのは、この上なく暑くて恐ろしいくらいに暑いことだけでした。私は自分が生きているとは信じられないくらいに、非常に暑かったのです。私はこの熱でばらばらになってしまうと感じましたが、私はまだ生きていました。
その部屋に、しばらくの間、光がありました。しかし、しばらくして暗くなりました。気がつくと私はその独房にいて、四つの生き物も私といっしょに独房の中にいました。その時は、それらが悪霊どもであるとは私にはわかりませんでした。なぜなら、私は「救われていない一人の人」としてそこに行ったからです。私がクリスチャンであることを、神は私の頭の中から取り除いておられたのです。私にはなぜか理解できませんでしたが戻る途中で神は私にそれを説明してくださいました。それらの生き物が悪霊だとは私は気付きませんでしたが、彼らは巨大でした。
背の高さは3.6メートルから4メートルくらいで、みなさんがビデオで見かけるような者です。私が見たのと同じ悪霊を見たと証言する人もいます。それは、とても恐ろしいものでした。
一匹の悪霊は体中にうろこがあり、巨大な歯のある大きなあごがあり、爪は突き出ていて、目はくぼんでいました。彼らは実に巨大でした。そして、これとは少しも似ていない別の悪霊もいましたが、それは体中に、かみそりのような鋭いひれがあり、一本の長い腕と、釣り合いのとれていない二本の足がありました。
どの悪霊も奇形で、ゆがんでおり、釣り合いがとれてなく、対称的ではなく、左右対称のものは何もなく、一方の腕は長くてもう一方は短く、とても奇妙に見える生き物で、恐ろしく、恐ろしく見える者たちでした。
そして彼らは神を冒涜していました。その間ずっと、彼らは神を呪っていました。私は「なぜ彼らは神を呪っているのだろう? なぜ彼らは神をこんなに憎んでいるのだろう?」と思いました。 それから彼らは私のほうに注意を向けました。すると私は、彼らが神に対して抱いているその同じ憎しみを感じ取りました。彼らは私に対しても憎しみを抱いていました。ふたたび私は、「なぜ彼らは私を憎んでいるのだろう? 私は彼らに何もしていないのに」と思いました。
しかし彼らは、私が地上で一度も経験したことのない憎しみで私を憎んでいました。それは、人間が持っている憎む能力を超越していました。彼らは私を絶対的に憎んでいたのです。
そして私は、彼らには私を拷問することが割り当てられているとわかりました。
私がどうやって知ったのか自分でもわからないものが、いくつもありました。地獄では、あなたの感覚はもっと鋭敏になり、私たちの肉体が感知する以上に感知するのです。私は距離感もわかっており、時間も感知していました。みなさんが今ここにいることを私が感知しているよりも、はるかによく感知していたのです。私は、これらの悪霊には、この場所で私を永遠に拷問することが割り当てられているとわかりました。
私は、この独房の中の床の上で横たわっていました。私の体には体力は全く何もありませんでした。私は、「なぜ私はほとんど動くことができないのだろう、私の体のどこが悪いのだろう?」と思いました。私は自分に全く体力がないことをよくわかっており、体の自由がきかないまま、そこに横たわっていました。
● 悪霊による拷問・私は壁に投げつけられた!
一匹の悪霊がすぐに私をつかんで、私を拾い上げ、コップを投げるように私を壁に投げつけました。すぐに彼は、コップを拾うように私を拾い上げました。それほど私が軽かったのか、あるいは、それほど彼が強かったのです。そして彼が私を壁に投げつけると、私の体のすべての骨が折れました。しかも私は痛みを感じたのです!
すぐに私はその床の上で横たわり、あわれみを求めて泣き叫び始めました、しかし、これらの生き物は少しもあわれみを持っていません、完全に全くあわれみを持っていないのです。
一匹の悪霊が私を拾い上げると、もう一匹の悪霊が、かみそりのように鋭い爪で私の肉をずたずたに切り離しました。彼はすぐにそれを引き裂きました。この体は、神がとてもすばらしく造ってくださったのに、その悪霊はこの体に対して全く何も気にしませんでした。その悪霊は私に対してとても激しい憎しみを持っていました。私は、「なぜ私は生きているのだろう、なぜ私はこんなことをされながらも生きているのだろう? 私が死んでいないことが理解できない」と思いました。
私は肉は、ずたずたになって、そこにぶら下がっていました。そして、そこには血が全くなく、肉だけがぶら下がっていました。なぜなら、命は血の中にあり、地獄には命は全く存在しないからです。また、地獄には水も全く存在しません。
たとい私に生まれつきの体力があったとしても悪霊どもと闘って払いのけることは決してできなかったはずです。私は完全に彼らの思うままでした。地獄で悪霊どもはあなたの命を支配するのです。
これらの悪霊の臭いも、地獄の臭いも、実にひどいものでした。私はそれをみなさんに描写することさえできません。肉が焼かれる臭い、硫黄の臭いがありました。これらの悪霊どもの臭いは、下水、腐った肉、腐った卵、酸っぱくなった牛乳などに似ていました。それを取って1000倍にし、あなたの鼻に近づけてみてください。そして、それを吸い込んでみてください。それは非常に有毒で、人を殺してしまうくらいでした。
もしみなさんがその肉体でそこにいるとすれば、きっと死んでしまうはずです。私は、「この臭いをかいでいながら、なぜ私は生きているのだろう、こんなにひどい臭いなのに」と思いました。
しかし、それでも人は死なないのです、人はそれに耐え忍ばなければならないのです。あわれみは天国に存在します。あわれみは神から来ます。そして悪魔はどんな種類のあわれみも知りません。彼はそれに真っ向から対抗しているのです。
「あなた(神)のいつくしみは天にあります」(詩篇36・5) それは地獄には決してありません。
そして詩篇74・20にはこう書かれています。
「地の暗い所は暴力の住まいで満ちている」
そこは、人が耐え忍ばなければならない、残酷で、悲惨で、恐ろしい場所です。そういうものを全部耐え忍ばなければならないのです。悪霊どもが知っているのは、神への憎しみ、あなたへの憎しみと拷問だけです。そして彼らはあなたの命を支配し、あなたはそれについて何もすることができないのです。
● 真っ黒な闇・おびただしい数の人々の悲鳴
私はその独房で横たわっていました。そして暗くなり、真っ暗になり、真っ黒になりました。私は、自分が今まで一度も感じたことのない暗闇のことを言っているのです。みなさんが想像することもできないような暗闇がありました。
私は何とかして這って出ようとしました。私は何とか這うことができました。私は扉がある場所を覚えていたので、それに向かって這って進みました。私はその独房の外に出ました。
私は一つの方向を見つめました。真っ暗でした。私に聞こえたのは悲鳴だけでした。おびただしい数の人々がこの場所で悲鳴を上げていました。
おびただしい数の人々がいることがわかりました。そして、とても騒々しい声でした。
もしあなたが、だれかが悲鳴を上げるのを聞いたことがあるなら、とても迷惑な思いをするはずです。ところで、もし、おびただしい数の人々が悲鳴を上げているのをあなたが聞くとすれば、それがあなたの知性にどんなに影響を及ぼすか、あなたには想像できないはずです。あなたはそれに決してがまんできないはずです。とても騒がしくて耳をつんざくくらいなので、あなたは耳をふさぐはずです。あなたはそういう悲鳴から逃れることができないのです。
● 比べものにならない恐怖
また、あなたを圧倒するその恐怖は、信じられないくらいのものです。あらゆるものが恐怖に支配されているのです。この場所には神の御臨在は全くありません。ですから、あなたはその恐怖にも苦痛にも暗闇にも耐え忍ばなければならないのです。あなたは何も見ることができません。自分に向かって来るものさえ見ることができません。
その恐怖は非常に強力でした。それがあなたをつかんでいるのです。あなたが何かの恐怖映画を見たことがあって、それがあなたののどにまで迫るほどの恐怖であったとしたら、それを少なくとも1000倍に大きくしてみてください。そのようにして、あなたはずっととどまり続けるのです。
私も恐怖についていくらか知っています。私は若いころ、サーフィンをしていました。私たちがココ・フロリダでサーフィンをしていると、サメの群れが私の周りに近づいてきました。
2メートル70センチほどの一匹のイタチザメが上がって来て、私のボードをかんで真っ二つにしました。そのサメは私の片足にかみつき、私を引きずり落としました。こうして私の片足は、この大型ザメの口の中にありました。当時、私はクリスチャンではありませんでした。それは私が救われる前のことでした。
突然、そのサメは私を放しました。神がそのサメの口を開けてくださったのだと、今はわかります。しかし、ほんの少しの間でも、あなたの中に入り込むその恐怖は、実にものすごいものです。『ジョーズ』という映画を見たことがある人でも、その恐怖は、それを実際に経験することと比べれば無に等しいものでした。その時の恐怖は恐ろしいものでした。
私のとなりにいた人は、数フィートしか離れていませんでしたが、一匹のサメが彼の片足をもぎ取ったのです! 人々は彼を岸に引き上げましたが、血がいたるところにありました。彼は悲鳴を上げており、片足を失っていました。こうして私は恐怖をよく知っていますが、その恐怖は、私が地獄で感じた恐怖と比べたら、無に等しく、完全に無に等しいもので、全く比べものにならないものだったのです。私がサメの襲撃から感じた恐怖は、私たちが地上で経験することのできる最大の恐怖の一つだと私は思います。
そのようなことを私たちは地獄で耐え忍ばなければならないのです。
● 荒廃と死の世界・激しい熱さ
私は独房の外にいて、この方向を見つめていました。私がその方向を見つめていると、10マイルほど離れたところに火の炎がありました。私はそれが10マイルだとわかったのです。そして3マイルくらいむこうにある火の穴が燃えており、それが地平線を照らし出し、地獄の光景がほんの少し見えました。
その暗闇は非常に深いものでした。それは、どんな光でもすぐに飲み込んでしまいそうでした。
ただし、地平線をいくらか見ることはできました。すべてが褐色で荒廃していました! それは、緑色の葉は一枚もなく、どんな種類の生命もなく、石と、汚れて黒色をしている空と、地平線にある煙しかないという意味です。炎は本当に高かったため、私はそれを見ることができました。
地獄には生命はどんなものも全く存在しません。生命が何も存在しない世界にいるのは、とても不思議なものです。この地上で私たちは木々や新鮮な空気を享受していますが、地獄では完全にすべてが死んでいるのです。
熱さはとても激しいものでした。とても暑いのです。こういうすべてのことであなたは死んでしまうはずですが、あなたは死なないのです! あなたはこういうすべてのことを耐え忍び続けなければなりません。私が望んだのは、平安な思いであり、それらの悲鳴から逃れること、そこから抜け出すことでした。それは、あなたが夜、家に帰りたいと思う時に似ています。あなたはつらい一日を過ごすと、平安な思いを望むはずです。しかしそこでは、あなたはそういうすべての悲鳴や、そういうすべての拷問を耐え忍ぶのです。しかも、あなたがそれから逃れることは、これからずっと決してないのです、ずっとです。
イザヤ57・21はこう言っています。「悪い者たちには平安がない、と私の神が言われる」
また、あなたは地獄で裸でもあります。それも耐え忍ばなければならないことです。恥辱です! エゼキエル書32・24には穴の中での恥辱のことが書かれています。
「地の下の所に下った者たち…彼らは、穴に下った者たちとともに、彼らの恥辱を負っている」
● 一滴の水もない渇きの苦痛
地獄には水が全くありません、少しも、全くありません。その空気には湿気が全くありません。また、どんな種類の水も全くありません。とても乾燥しています。あなたは一滴の水を必死で求めるのです、たった一滴のためにです。聖書のルカ16・23、24に書かれている通りです。
「(地上で裕福だった男が)ハデス(地獄)の中で目を上げると、拷問の中にありながら、遠くからアブラハムと、彼のふところにいるラザロとを見た。すると彼は呼びかけて言った。
『父アブラハム、私をあわれんでください。そしてラザロを送ってください。彼が指の先を水に浸して私の舌を冷やすためです。私はこの炎の中で悩み苦しんでいますから』」
アブラハムは、「子よ、思い出しなさい…」と言いました。そして、それから、この地上で裕福だった男は、自分の兄弟たちのことを話しました。
彼は、ラザロが指の先を水に浸すことを望みました。ただ、一滴の水を得るためにです。それは貴重な一滴であったはずです。
しかし、あなたは決して、一滴でも得ることはありません。あなたの口がどんなに乾燥するかを想像するのは困難です。あなたが『死の谷』でマラソンをして走り、そしてあなたの口に綿を詰め、そしてそこに何日もとどまることを想像できるなら、それがそのようにしてずっと続くのです。本当に渇き切ったまま、一滴の水を必死に求めながらです。
あの裕福だった男は遠くからアブラハムを見ました。彼はどうやってラザロやアブラハムを認識できたのでしょうか? 何よりもまず、彼はアブラハムと一度も会ったことがなかったのです。しかも、そんなに遠く離れた所からだれかを見ても、だれなのかわからないはずです。しかし、あなたが地獄でわかることがいくつかあるのです。深さや、どのくらい離れているかなどを、私がすでに述べたように、あなたも理解できるようになるのです。
● 両手両足が引き裂かれる! 焼かれ続ける人々
それから、一匹の悪霊が私をつかみ、独房の中に私を引きずり戻しました。そしてこういうあらゆる拷問がまた始まりました。私はそのことについて述べるのも本当にいやな思いがします。なぜなら、私はその拷問を追体験したくないからです。彼らは私の頭蓋骨を粉砕し始めました。一匹の悪霊が私をつかみ、私の頭を粉砕しようとしました。私は悲鳴を上げ、あわれみを請い求めましたが、あわれみは全くありませんでした! そうしているころ、彼らはめいめいが私の一本の腕と一本の足をそれぞれつかみ、私の両足と両腕を引き裂こうとしました。
私は、「これには耐えられない、これには耐えられない!」と思いました。
すると突然、何かが私をつかみ、この独房から私を引き出しました。神がそうされたのだと、私は今はわかりますが、その時は、それがわかりませんでした。私は救われていない一人の人として、地獄にいたのです。それで私はそういうことがわからなかったのです。私は、あたかも自分が一度も主を受け入れたことのない者のようにして、地獄へ行ったのです。私は、それまで自分が見ていたその火の隣に置かれました。私は、あの穴の横に立っていたのです。私は、ある洞穴のふもとにいました。それは巨大な洞窟に似ていて、上がっていくトンネルが付いていました。
その火の横にいた私は、炎の中から人々の体を見ることができました。人々は火の中で悲鳴を上げており、あわれみを求めて悲鳴を上げながら、この場所で焼かれていました! そして私は、自分はその中には入りたくないと思いました。私がすでに耐え忍んできた苦痛は、それだけでも十分にひどいものでした。けれども、その炎から出ている熱さは、もっとひどいものだとわかったのです。その人々は抜け出そうとして懇願していました。
この穴の縁の周囲はどこも、これらの大きな生き物たちが並んでいました。そして人々が抜け出そうとして這い上がって来ると、彼らは火の中へ押し返され、外に出ることは許されませんでした。
私は、「ああ、この場所はとても恐ろしい、とても恐ろしくて、おぞましい」と思いました。
こういうことが全部同時に進行しているのです。あなたは渇いており、あなたは飢えており、あなたは疲れ切っています。あなたは地獄で眠りに就くこともありません。あなたは睡眠を必要としています、ちょうど現在もあなたが睡眠を必要としているようにです。あなたの体は睡眠を必要とします。
黙示録14・11はこう言っています。
「彼らの拷問の煙は代々の代々にまで立ち上り、彼らには昼も夜も休息がない」
あなたが眠りに就くことは決してありません。
それがどういうものか、あなたは想像できるはずです、決して眠らないでいるのです。水に関してはゼカリヤ書9・11に、「穴、その中に水はない」と書かれています。地獄には完全に水はありません。
● 地獄は地球の中心にある!
私は、地獄の位置が地球の中心部であるとわかりました。まさにそこにあったのです、地球の中心部にです。私は自分が地球の約3700マイルの深さのところにいることが理解できました。私たちは地球の直径が8000マイルであることを知っています。半分は約4000マイルになります。私は約3700マイル下ったところにいました。エペソ書4・9は、イエス様が、「地の、より下方のさまざまな部分の中へ下って行かれた」と言っています。民数記16・32は、「地はその口を開け、彼らと、彼らの家々と、コラに属するすべての人々と、彼らのすべての所有物とを飲み込んだ」と言っています。
今この時、まさにそこに地獄はあるのです。
● 大きさも形もさまざまな悪霊
私はこの火の穴の横にいました。これらの悪霊どもがみな、壁に沿って並んでいるのが見えました。彼らは、大きさも形もさまざまで、奇形の醜い生き物たちでした。彼らは体をくねらせた奇形の生き物で、巨大な者も小さい者もいました。何匹もの大きなクモもいて、背の高さが1.5メートルくらいの巨大なクモでした。何匹ものネズミや、蛇や虫もいました。というのも、聖書は、「虫があなたの覆いとなる」(イザヤ14・11)と言っているからです。
あらゆる種類の忌まわしい生き物が、いたるところにいて、彼らは壁に鎖でつながれているようでした。私は、「なぜ、これらの者たちは壁に鎖でつながれているのだろう?」と思いました。
私はそれが理解できませんでしたが、そのことに関する聖書のことばがユダ書1・6にあります。こう書かれています。「自らの初めの領分を守らず、自分の住まいを捨て去った御使いたちを、(神は)大いなる日の裁きのために、永遠の鎖によって暗黒の下に監禁しておられる」
もしかすると私が見たのはそれかもしれません。私にはわかりません。しかし、それは、それらしきものでした。私は彼らが私のところに来て欲しくなかったので、うれしく思いました。彼らはみな、激しい思いで私を憎んでいました! それもまた、私が理解できないことでした。彼らは単なる生き物ではありませんでした。彼らは人類に対して憎しみを持っていたのです。それで私は、彼らが壁に鎖でつながれていることでうれしく思ったのです。
私はこのトンネルを通ってこの穴を上昇し始め、炎から離れていきました。すぐに暗くなっていきましたが、私には、壁に沿って並んでいるこれらのすべての悪霊どもが見えました。彼らは非常に恐ろしい力を持っていました。
私は、「だれが、こういう生き物を撃退できるだろう。だれ一人、こういう者たちと闘うことはできまい」と思いました。それでも、その恐怖は大いに圧倒するほどのもので、私はこの恐怖に耐えて立っていることすらできませんでした。
● 地獄の存在を知らない人々・皆無の希望
地獄でもっとひどいこと、どんな拷問よりもっとひどいこととして私が理解したのは、まず第一に、この地上にいるほとんどの人が、この地獄の世界が地球の下のこの所に存在していることさえ知らずにいることでした! 人々は、これがこの下の所にある現実の世界であって、おびただしい数の人々が苦しんでおり、抜け出す機会が得られるのではと一回のチャンスを求めて懇願していることを、知ってもいないのです。しかし、彼らが抜け出すチャンスを得ることは決してありません。そして彼らは、イエス様を受け入れたはずの機会を利用せず、自分がそこに永久に固定されてしまっていることで、自分自身に対して怒っているのです。
地獄について、もっと悪いことはこれです、いつか抜け出るという望みが完全に全くないことです。私はそれが理解できました。私は永遠というものを把握しました。私は永遠というものを理解することができたのです。この地上では、私たちはそれをあまり理解できません。しかし、あの所で私はそれを理解したのです。私は、自分はあそこにずっと永遠にいることになり、抜け出す望みは全くないとわかったのです。
私は、私の妻のことを思いました。私が私の妻のもとに行くことは決してできませんでした! 私はいつも彼女にこう言ってきました。たとい私たちがどんな地震や恐ろしいことで別れ別れになっても、「僕は君のところに行くよ。僕は君を見つけ出すよ。僕たちが別れ別れになっても、僕は君のところに行くよ」と私は言っていました。
しかし、この地獄で私は彼女のもとに行くことはできませんでした。私がふたたび彼女と合うことは決してできませんでした。彼女は私がどこにいるか決して知ることはないはずですし、私がふたたび彼女に話しかけることも決してできないはずです。その思いが、私を恐ろしく完全に悩ませたのです!
彼女に話しかけることも、彼女のもとに行くこともできないこと、私がいる場所を彼女がわからないこと、そしていつか抜け出ることができるという望みが全くないことです! あなたは自分がここから決して出ることはないことを、よくわかっているのです!
地上では、希望はいつもあります。強制収容所にいる人々ですら、抜け出す希望があり、あるいは、少なくとも死んでそこから抜け出す希望がありました。しかし、完全に希望のない状況を私たちは一度も経験したことがないのです。
● 現れてくださったイエス様!
そのころ、私はこのトンネルを上っていました。そして、私は完全な恐怖の中におり、希望なく滅んでおり、そしてこれらの悪霊どもにおびえていました。突然、全く突然に、イエス様が姿を現されました!
「主よ、あなたをほめたたえます」 イエス様が姿を現してくださったのです。この明るい光がその場所を照らしました。
私に見えたのは彼の輪郭、人間の輪郭だけでした。私は彼の御顔を見ることはできませんでした。それはとても輝いていたのです。私は、ただこの光をのぞき込み、彼の輪郭を見たのです。そして私はすぐにひざまずき、くずおれました。私は彼を礼拝する以外に何もすることができませんでした。私はとても感謝な気持ちでした。
一瞬前は、私は永遠に滅んでいましたが、今や突然、私はこの場所から出ていたのです。なぜなら、私はすでにイエス様を知っていたからです。あの人々は出ることができませんが、私はできました。なぜなら、私はすでに救われていたからです。
ただイエス様による以外、この場所から出る方法は何もないことを私は知り、理解しました。彼こそが、この場所に行かないようにしてくれる唯一の道なのです。
黙示録1・6には、ヨハネが天国に行ってイエス様とお会いした時、イエス様の御顔が太陽のように強く輝いていたことが書かれています。ヨハネはイエス様を見た時、死人のようにイエス様の足下に倒れました。私も、まさにそのようでした。私は死人のようにイエス様の足下に倒れました。
「なぜ私を地獄へ送られたのですか?」
私には彼に尋ねる質問がたくさんあったはずだと、みなさんは思うことでしょうが、あなたがそこにいたら、あなたにできるのは、彼を礼拝し、彼の聖なる御名を賛美し、彼が私たちを救ってくださったことで彼に感謝することしかできないのです。
私は落ち着きを取り戻して、少なくとも考え始めることができるようになると、主に語りかけようと考えました。私は、自分が主に声を出して尋ねることなど、思ってもいませんでした。私はただそれを思っただけなのに、彼は私に答えてくださったのです。私はこう言いました。
「主よ、なぜ、あなたは私をこの場所に送られたのですか?」
彼は私にこう言われました。「この場所が存在していることを、人々が信じていないからです」
彼はこう言われました。「私の民の中にも、この場所が現実にあることを信じていない者たちがいます」
私はそのことばにショックを受けました。
私は、クリスチャンはだれも地獄があることを信じなければならないと思いました。しかし、すべての信者が、文字通りの燃えている地獄があることを信じているわけではありません。
私は主に、「なぜ私をお選びになったのですか?」と言いました。しかし彼はその質問に関しては私にお答えになりませんでした。
彼がなぜ、そこへ行かせるために私をお選びになったのか、私には全くわかりません。私はこの場所には決して行きそうもない者です。
私の妻も私も、邪悪な映画がきらいです。私たちは、どんな悪いものでもきらいです。私は夏も好きではありませんし、熱さはなおさらです。地獄は不潔です。秩序は全くありません。地獄は大混乱と無秩序と不快きわまるものばかりです。私は、秩序があって洗練されたどんなものでも大好きです。
● 「あなたは行って、彼らに語りなさい…」
彼は私にその質問に関してはお答えになりませんでした。彼は私にこう言われました。
「行って彼らに語りなさい、私がこの場所をきらっていること、私の創造した者のうちの一人でもこの場所に行くのは私の願いではないことをです、一人でもです!
私はこれを決して人間のために造ったのではありません。これは悪魔と彼の使いたちのために造られました。
あなたは行って、彼らに語らなければなりません! 私はあなたに口を与えています、あなたは行って、彼らに語りなさい」
私はこう思いました。「しかし、主よ、彼らは私を信じないでしょう。彼らは、私が気が狂っているとか、悪い夢を見たのだと思うことでしょう」
みなさんも、そう考えるのではないでしょうか? 私がそのことを考えていると、主が私に答えて言われました。
「彼らを説得するのは、あなたの仕事ではありません。それは聖霊の仕事です! あなたはただ行って、彼らに語りなさい!」
そして、私の内側で、こう言いました。「はい! 確かに、私は行って彼らに語らなければなりません」
人があなたのことをどう思うかを、あなたは思いわずらって恐れてはいけません。あなたはただ行って、それを実行し、あとは神にしてもらってください。アーメンでしょうか?
そして私はこう言いました。「主よ、なぜ彼らは私をこんなに憎んだのでしょうか?」「なぜ、これらの生き物は私を憎んだのでしょうか?」
彼はこう言われました。「あなたが私の似姿に造られており、彼らは私を憎んでいるからです」
ご存知の通り、悪魔は神に対抗してどんなこともできるというわけではありません。悪魔は神を傷付けることはできませんが、神の被造物を傷付けることはできます。だから、悪魔は人類を憎んでおり、人間をだまして地獄に連れ込んでいるのです。また彼は人間に病気をもたらしています。神の被造物を傷付けるために彼にできるどんなものをもです。
● 無限に偉大な神の愛
そして、それから神は、彼の御思いで私を洪水のようにあふれさせてくださいました。彼は私に、彼の心の片鱗に触れさせてくださいました。彼が人類をどんなに愛しておられるかをです。信じがたいことですが、私はそれを受け取ることすらできなかったのです。それは、とても担いきれないほどだったのです。彼が人間に対して抱いておられる愛を、あなたはこの体で受け取ることはできません。
私たちは自分の妻子をどんなに愛していることでしょうか? ところで、私たちが持っている愛は、神が私たちに対して抱いておられる愛とは比べることさえできないのです。神の愛は、私たちの愛や私たちの愛する能力よりも、無限に偉大なのです。エペソ書3・19に、「知識を超絶したキリストの愛を知る」と書かれている通りです。それは知識をはるかに超絶しており、あなたはそれを捕らえることもできないのです。神が人類をどんなに愛しておられるか、私には信じることができないくらいです。彼は、たった一人の人がこの場所に行かないためにも死んでくださることでしょう。そして、彼の被造物のうちの一人でもこの場所に行くのを見るのは、彼の心を非常に激しく痛めるのです。主はそのことに心を痛めておられます、彼は、一人でもそこに行くのを見て泣かれるのです。そして私は主に対し、自分がとてもすまない思いを感じました。
私は彼の心を感じました。彼は私に、彼の心の片鱗に触れさせてくださいました。彼は、ご自分の被造物がそこに行くことをとても悲しく感じておられました。
そして私はこう思いました。「私は出て行って、証言し、イエス様がどんなにすばらしい方であるか、イエス様のことを世界に告げるために行かなければならない」
つまり、私たちには福音があるのです。それはすばらしいニュースなのです。それはすばらしいニュースですが、世界はそれを知りません。彼らは語ってもらわなければなりません! ご存知のように、私たちはこの知識を伝えなければなりません。人々はこの分野の知識に欠けているのです。私たちが人々に、神がどんなにすばらしい方であり、彼がこの場所をどんなにうとんでおられるかを伝えることを、神は望んでおられるのです。
彼は私にこのことも言われました。
「彼らに語りなさい、私が、とても、とてもすぐに来ようとしている、と」
そして、彼はそれを再び言われました。「彼らに語りなさい、私が、とても、とてもすぐに来ようとしている、と」
今、私は、どうして彼にこう言わなかったのだろうと思います。「どういう意味ですか、主よ? 『すぐに』とはどういうことでしょうか?」 私たちはそのように考えます。しかし、私は尋ねませんでした。みなさんも、その時、そういうことを尋ねようとは決して思わないはずです。ただ彼を大いに礼拝したいと思うはずです。
彼の隣にいるあなたの上に臨む神の平安は、説明不可能です。彼の隣にいて感じる神の愛と平安は、全くたとえようがありません。
● イエス様の前では無に等しい悪霊ども
それから私が見上げると、壁にあの悪霊どもが見えました。彼らはとても凶暴でした。彼らは壁の上のアリのように見えました! 彼らはアリによく似ていたのです! 彼らはかなり大きかったのに、隣におられる神の御力により、神の創造的な御力のすべてによって、彼らは壁の上のアリのように見えたのです。
私は、「主よ、彼らはアリにすぎません!」と思いました。
すると彼はこう言われました。「あなたはただ、私の名によって彼らを縛って追い出しさえすればよいのです」
私は、「そうだ、その力を彼は教会に与えておられるのだ」と思いました。
この者どもはとても凶暴で、イエス様なしでは私たちは一匹の悪魔にも全く太刀打ちできません。彼らは凶暴ですが、イエス様がおられれば、彼らは無に等しいのです!
ちょうどその時、私の内に大胆さが生じてきました。私がこの生き物どもを見て、こう言いたくなりました。
「おまえたち生き物どもは、私を拷問で苦しめて私を八つ裂きにしようとした者たちだな? さあ、来い! さあ、来い!」
みなさんもわかるように、たぶん、私の肉の思いが生じたのでしょう、私は、「イエス様、彼らをやっつけてください」と思いました。
● 振り返って見た地球の姿!
私たちはそこを去って、地球の表面の上方へ上って行きました。私たちは上に上って行ったのです。というのも、私たちはまだトンネルの中にいたからです。やがて、そのトンネルはもう見えなくなりましたが、それは、つむじ風に似ていました。私たちは巨大なつむじ風の中にいたのです。
私たちは上昇し続けました。私たちはそこから抜け出るために上昇しなければならないようでした。私たちがそのてっぺんに着いた時、私は地球を見下ろしました。地球を振り返って見るのは畏れ多いことでした! 神が私のためにそうさせてくださったのだと私にはわかります。彼は、あのトンネルを彼が望むどの方向にでも向けることができたはずです。
彼は私の心の中をご存知でした。なぜなら、地球を宇宙から見たら、どう見えるだろうかと、私は子どものころ、いつも見たがっていたからです。たぶん私は映画『スター・トレック』などの見過ぎだったのでしょう、みなさんはご存知ですか? 地球を見ること、そして地球が何もないところにぶら下がっているのを見るのは、本当にすばらしいだろうなと思っていたのです。聖書にも書かれているようにです。ヨブ記26・7にこう書かれています。
「彼は何もないところの上に地を掛けられた」
みなさんが見たら、「何がこの地球を支えているのだろう? 地球をこれほど完璧に回転させているのは何だろう?」と思うはずです。
私に洪水のように押し寄せてきたあの神の御力、彼が持っておられるその御力は、ものすごいものです。神は大いなる力を持っておられます。どんなものも彼がコントロールしておられるのです。あなたの髪の毛一本が地に落ちても、彼がそのことについてご存知ないことはないのです。一羽の鳥が地に当たっても、彼がそのことについてご存知ないことはないのです。私にはそういうさまざまな思いが洪水のように押し寄せていました。神は大いなる力を持っておられるのです。私はそのことで圧倒されました。
イザヤ書40・22には、神は「地の丸天井の上に座しておられる」と書かれています。あの場所で、私は、この地球の丸天井の上にいたのです。
私はこうも思いました。「主よ、どうしてでしょう、クリストファー・コロンブス以前も人々はその聖書の箇所を読んで、地球が丸いことを知ることができたはずなのに?」
みなさんはおわかりでしょうか? 人々は不思議に思ったのでしょうか、彼らは地球が平面だと思ったのでしょうか?
それはともかく、私たちは下って帰る時、数々のシールド(盾、遮蔽物)を通りました。私は、私たちが地球の周囲にある『熱シールド』を通っているとわかりました。私はそれがすぐにわかりました。私は愚かな考えすら抱きました、神と一緒にいるのに、です。私はこう思ったのです。
「彼はあのシールドをどうやって通り抜けられるのだろう?」と。ご存知のように、宇宙では完璧な角度でそれを通過しなければなりません。私たちは全く何の問題もなくそれを通過しました。少しも驚くべきことではありません!
詩篇47・10に、こう書かれています。
「地の盾(シールド)は神のものである」
● 我が家への帰還・一時的な私たちの人生
神はどんなものもコントロールしておられます、どんなものもです。私は決して彼と別れたくありませんでした。私は彼の御前にいたいと思いました。私たちはカリフォルニアの上空にすばやく来つつありました。私たちはとても速く来て、とてもすばやく動いており、私たちの家にまで来ました。そして私が目を向けると、私たちの家の屋根が透けて見えました。
すると、私自身が床の上に横たわっているのが見えました。私は本当にびっくりしました。なぜなら、私は私の体がそこに横たわっているのを見たからです。
私は「あれが私のはずがない、私はここにいる、これが私なのだ!」と思いました。
おわかりのように、あなたは二人のあなた自身を見たことは一度もないはずです。私がそこに横たわっていたのです。私は、「あれは決して私ではない」と思いました。そして、パウロが、私たちは「地上のこの幕屋の家」にいる(第二コリント5・1)と言っている聖書のことばが、とても強く私に思い当たりました。
私は、「あれはテント(幕屋)にすぎない、あれは、取るに足りないものなのだ。あれは一時的なものなのだ。これが本当の私なのだ」と思いました。
まさにこれこそが、永遠というものなのです。私たちは蒸気のようなもので、私たちが思いわずらうその人生(命)も蒸気なようなものにすぎない、という思いが私に来ました。ヤコブ書4・14に、この命について、それがいかに短いものであるか書かれている通りです。それは短いのです。たとい、あなたが100年間生きても、それは無に等しいのです! それは蒸気のように上って行くのです。
私は、「私たちは神のために生きなければならない」と思いました。私たちが現在この地上で行なっていることは、永遠に重要なのです。私たちは証言しなければなりません。私たちは出て行って、救われていない人々を救わなければなりません。私たちは、つまらない小さなことで思いわずらっていてはいけないのです。私たちは実際に出て行って、福音とすばらしいニュースを宣べ伝える必要があるのです。なぜなら、これは実にすばやく終わりとなってしまうからです。
私は私の体がそこに横たわっているのを見て、それはあたかも、人が自分の車から降りて自分の車を振り返って見るようなものだと思いました。それはあなたではなく、あなたの車なのです。それは、あなたが身に着けるものにすぎません。ちょうどそのように私には見えたのです。それは、この地上で私が身に着けるものにすぎないのです。しかし、こちらが本物の私なのです。
そして私は、「主よ、離れないでください、離れないでください。私はしばらくあなたといっしょにいたいのです」と思いました。しかし彼は離れて行かれました。私は私の体のところに来ました。そして、何かが私を私の体の中に引き戻しました。ちょうど、私の鼻か口の中へ私が吸い込まれるようでした。
● 耐えられない恐怖と戦慄
彼が離れて行かれたちょうどその時、まさにその時、すべてのあの恐怖と拷問と苦痛が私の頭によみがえって来ました! 地獄のあの恐怖と戦慄が突然私の頭に入って来たのです。私はそれに耐えられませんでした、私はそれに耐えられませんでした! 私は悲鳴を上げていました。私は苦悩の中にいました。私はそれといっしょに生きることはできませんでした。私は、この体はあのような恐怖に持ちこたえる力がないとわかりました。
あなたは、あのようなプレッシャーのもとで持ちこたえることはできません。あなたの体はそれほど強くはないのです。それで、その時、私は祈りました。私は祈ることができました。
「それを私の頭の中から取り除いてください!」
ふつうなら、こういう種類のトラウマから抜け出るためには、あらゆる種類のカウンセリングを受けなければならないはずです。しかし神はそれを取り除いてくださいました。瞬間的にそのトラウマを取り除いてくださいました。彼はその記憶を残されましたが、そのトラウマと恐怖を取り除いてくださいました。私はとても感謝しました。
● あなたの永遠がかかっているチャンス
今、まだ主を知らない人がいるなら、あなたは自分に質問してみなければなりません。
「私はこういう人たちのことを信じているだろうか、彼らが見たことは本当のことだと信じているだろうか?」
しかし、もっと重要なのは、神のことば(聖書)が地獄について述べていることです。あなたはそのチャンスを捨てて、こう言うことを望むのでしょうか、
「いいえ、私はそんなことは信じません。私はそれが本当のことだとは信じません」と。
そうするには、あなたは、神のことばの全部も、そして私たちがあなたに語ろうと努めていること全部も投げ捨てなければなりません。あなたは、あなたの永遠全体がかかっているそのチャンスを廃棄するつもりでしょうか? 私には、それはとても愚かなことに思われます。
あなたは悪魔にだまされてはいけません。あの場所にいたあの大きな生き物は、あざ笑っていました。あなたが地獄に行けば、悪魔はそのようにすることでしょう。彼はあざ笑うはずです、なぜなら、あなたには主を受け入れる機会があったのに、あなたがそれを逃したからです。
しかし、あなたがいったんそこに行ってしまえば、戻ることは全くできません。戻る方法は完全に全くないのです。あなたはずっといつまでもそこで滅びることになるのです。
あなたは自分自身にこう言うかもしれません。「私は、とても良い人です。私は、とても善良な人間です。私は、その場所に行くような者ではありません」
ほとんどの人と比べて、あなたはとても善良な人かもしれません。しかし、あなたが自分自身を比較する必要のあるのは、それではありません。私たちは自分自身を神の基準と比べる必要があります。神の基準は私たちの基準よりはるかに高いのです。
神はみことばの中で、もしあなたが一度偽りを言うなら、あなたの全生涯でたった一度でもそうするなら、あなたは偽り者(うそつき)である、と言っています。
もしあなたが人生で一つの物でも、クリップ一個でも、何であっても、たった一回でも盗んだことがあるなら、あなたは泥棒なのです。
もしあなたが理由もなく怒ったなら、もしあなたに何か悪いことをした人を赦さなかったなら、もしあなたが情欲を抱いて女性を見たなら、そういうものの内のどれでも、それを一度でもしたなら、あなたは罪人であり、あなたは天国に行くことはできません。
ですから、おわかりのように、私たちはみな、及ばないのです。私たちはみな不合格であり、私たち自身の行ないでは天国に到達できないのです。テトス書3・5にこう書かれています。
「彼は、私たちが行なった、義の内にある行ないによってではなく、彼のあわれみにしたがって、私たちを救ってくださいました」
そうです、それは、あなたがどのように比較するかにかかっているのです。それは、山の上の羊の群れを見た女性のようです。羊はみな、その山を背にしてとても白くて美しく見えました。
彼女は、「あの白い羊たちをご覧なさい、なんて美しいのでしょう、とても白いわ」と言いました。
彼女が眠りに就くと、その晩、雪が降りました。翌朝、彼女が目を上げると、羊が見えましたが、羊たちはみな、その白い雪に比べると、さえない色で、うす汚く、灰色がかって見えました。
そのように私たちは自分自身を神と比べる必要があるのです。神の基準は私たちの基準よりずっと高いのです。ですから、私たちは救い主を必要としているのです。私たちは自分自身では天国にたどり着くことはできません。神は、それを無料の贈り物としてくださったのです。
ヨハネの福音書14・6でイエス・キリストはこう言われました。
「私が道であり、真理であり、命なのです。私を通してでなければ、だれ一人御父のもとへ来る者はいません」
彼だけが、この地獄から抜け出るための唯一の出口なのです。
ですから、今、まだ主を知らずにいる人がいるなら、イエス様に自分の人生の主また救い主としてなってくださるよう求めたことが一度もない人がいるなら、あなたは今、イエス様を受け入れてください。悪魔が、あの生き物があなたをあざ笑うようにさせてはいけません。あなたにチャンスがある今、受け入れてください。なぜなら私たちにあとどれだけ時間があるか、あなたにはわからないからです。あなたが明日死んであの場所に行き着くことになるか、あなたにはわからないのです。
あなたに言わせていただきますが、あの場所は、その熱さだけでも耐え忍ぶのが恐ろしい場所となるはずです。
ニューヨークのあの二つのビルから人々が飛び降りるのを私たちは見ました。彼らは手をつないで飛び降りました。どんなにか恐ろしかったにちがいありません。おわかりのように、もしあなたが高い所にいて下を見下ろしたことがあるなら、そこからジャンプすることなど考えることもできないはずです。しかし彼らはあの熱さに直面しなければなりませんでした。そして、それはわずか五秒間ほどのことでした。それは彼らを焼き尽くしてしまったはずです。それは約二千度くらいの温度でした。
科学者によると、地球の中心部は約二千度の温度だそうです。ですから、あなたはそれを永遠に耐え忍ばなければならないのです。
もし、あなたがそれを自分から進んで経験しようとしているなら、それは、恐ろしいほどに愚かなことになるでしょう。
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