|
|
|
|
|
|
|
|
HOME > 天国と地獄の情報 > |
|
1977年、わずか二ヶ月の間に私の世界は一変しました。私の娘と親友が亡くなったのです。 しかも私は緑内障との診断を下されただけでなく、背骨も骨折したのです。背骨が骨折したのは、私が床にころんだ時でした。外科医たちは、それを「融合」させる決断を下しました。 それより少し前、私の娘が西バージニア州でトラックにはねられて亡くなりました。アネットはクリスチャンのかわいい女の子で、イエス様をとても愛していました。私たちは彼女が生きるように全力を尽くして祈りました。ほかの大ぜいの人々も祈っていましたが、彼女は回復しませんでした。 彼女のために祈りに来てくれた一人がこう言いました。「彼女は今、天国にいます」 私もその通りであることを知っています。また、彼女がそこにとどまる選択をしたことも私は知っているのです。 今、私は理解できますが、その時は、彼女が私たちのもとから離れるのを望んでいませんでした。 彼女は私たちにとって、ただ一人の子どもでした。私たちは彼女を愛していましたが、彼女には自由意志がありました。彼女が神様をとても愛しており、今は彼といっしょにいることを私は知っています。 彼女の父は心が打ちのめされ、病院の壁が揺れるまでたたいていました。アネットが死んだことに加えて、私が手術を受けていることで、彼はいっそう苦しい状況にいました。 私の手術は長い時間がかかりました。私が回復室にいた時、私の呼吸が止まったことが何度もありました。 その手術の間、私の霊は私の体を離れていました。私は九時間の間、ずっと主の御前にいたのです。 まばたきの瞬間の内に私は天国にいました。そして、イエス様とお会いしたのです。 大いなる平安がありました。光はとても明るく、人がふつうの体で彼を見つめたとしたら、耐えられないくらいです。あまりにも輝いているからです。 彼の背の高さがどれくらいであったか、私には全く判断できません。けれども、彼の髪は黒色で、やや茶色っぽい色でした。大いに圧倒されたのは、彼の全存在に浸透している愛でした。私はこの愛と平安に包まれ、帰ることに同意した後でも帰りたくなかったほどでした。 それから私は、私の娘がそこにとどまることを選択した次第が理解できるようになったのです。 私は天国の数々の門を見ました。それは十二の巨大な宝石でできていました。通りは堅い金のように見えました。壁は宝石であり、どの色も非常に明るくて生き生きとしていました。 さらに、描写できないような音楽もありました。 それは、すばらしいものでした。それは神を礼拝して、あがめる音楽でした。それは清くて純粋であり、ふつうの仕方で合わせて歌おうとしても不可能です。 私が地上では聞いたことのない歌詞がありました。とても澄んでいて、欠点がなく、トーンはとても美しいものでした。 そこは、いるのにとてもすばらしい場所でした。 しばらくして、私は私の娘と会いました。私たちは園の中にいましたが、そこはあざやかな緑色の草が生い茂っており、花は信じられないくらいに明るく、実の付いた木々がいたるところにありました。 だれかがその木々のうちの一本の木からりんごを取りましたが、すぐにその実がふたたび成りました。 私と娘は、お互いにとても愛し合っていることを話したり、彼女が私と会えてとても幸せであることを話したりしました。そういう感情は、私たちが地上で理解する感情より高いレベルのものでした。 私の祖父母も天国にいました。ただし、私の娘とは別の場所でした。 天国では、人は雲の上に浮かんでいるわけではありませんが、一人一人が神のなさっておられることに欠くことのできない一部であり、彼らはみな行うべき働きを持っています。 ほかの私の家族たちもいました。曾祖父もいました。けれども、あまり多くはいませんでした。なぜなら、神が私に言われた通り、天国に行かなかった人たちもいたからです。天国で会えると私が期待していたのに、そこにいなかった人たちもいたのです。 イエス様は私に語りかけてくださり、私を愛していると言われました。私たちは多くのさまざまなことについて話しました。 それから彼は、私が帰ることを望んでおられると言われました。それは私にとってうれしいことではなく、私はなぜとどまることができないのですかと尋ねました。彼は私に、彼は私が行うべきことを備えておられ、私がそれを終えた時、それから私はふたたび天国に戻ることができると言われました。 イエス様は、それがどういうことかは言われませんでしたが、私はその一歩一歩を知るようになると言われました。 私が泣き出したのは、その時でした。しかし私は帰ることに同意していました。 私の帰還は、天国に向けて旅立った際よりいくらかゆっくりでした。その帰る途中、私は全く何の痛みも経験しませんでした。 しかし、私がふたたび完全に私の体の中に戻った時、痛みは拷問のようでした。私は全く何も考えることができませんでした。私は何の言語も持っていませんでした。私が知っていたことばは、「はい」と「オーケー」だけでした。それは脳への血液と酸素が欠乏していたためだと、後で知らされました。 四時間にわたる手術の後、六人の人々がさらに五時間ノンストップで私に施療しました! 私が体の中に戻った時、私が泣き出したため、看護師たちは、彼らが自分たちの間で言ったことで私が動揺しているのかどうか知りたがっていました。彼らは、患者は見かけは無意識状態であっても人が話しているのを聞くことができることを知っていました。 私は彼らのことで動揺していないことを示そうと頭を振りました。けれども私は、自分が生き返ったゆえに泣いているのだとわかっていました。私は娘と別れて地球に帰りたくは決してなかったのです。私が天国で歩いていた時、痛みは全くなく、脳の損傷も全くなく、頭はもうろうとしてもなく、気がしっかりしていて、会話することもできました。 ところが今や、事情は全くちがっていたのです! 手術の後、私の腎臓に損傷があり、唇ははがれており、二ヶ月間出血がありました。 私はアルファベットもわかりませんでした。きちんと食事することもできませんでした。私はフォークで自分の顔をたたき続けたのです。医師たちは、私の脳が損傷したままであり、良くならないかもしれないと言いました。 私は植物人間になりたくありませんでした。 私の夫は、私たちの娘が亡くなってからすでに怒っていましたが、いっそう神に怒るようになりました。私の状態を見て彼はとても心を痛めましたが、彼にはどうすることもできませんでした。 私が初めて家に戻った時、私の夫は私を外に連れ出して、たくさんのプレゼントを私に買ってくれました。私が当時は使うことのできない物もです。 私が依然として体の具合が悪いことが徐々にわかってくると、彼はますます心を痛めて怒るようになりました。 彼はついに、私が苦しむのを見るのにがまんできないまでになりました。彼は祈ろうともしませんでした。なぜなら、アネットが亡くなった後、祈ってもむだだと彼は思ったからです。最後には、彼は私と別れました。 その時から1983年までは、いやしは非常に穏やかでした。 ただし、それまでも私は多くの奇跡を見ました。 1983年、私は感謝祭の時にフロリダにいる私の姉妹を訪れることにしました。その訪問の前の三週間、私はいやしに関する聖書のみことばをすべて調べました。 すると、特に新約聖書の使徒3・6のみことばが私にとって非常にリアルなものとなりました。この箇所で、ペテロとヨハネは神殿の門にいた物乞いの男に命じて、イエス様の御名を信じる彼の信仰が彼を健康にしたのだと言いました。 私はそのことばを、一日に少なくとも百回は思い巡らしました。 その後、フロリダにいた間、私はフォート・マイアースにある教会に行き、牧師に祈りを求めました。彼は私のところに来て、私が何を必要としているかを尋ねました。私はこう言いました。 「実は、私は背骨を骨折して死んだのです。現在は緑内障があり、ほかにもたくさんあります!」 彼は一度に一つずつ取り上げ、私の背中のいやしのために信じる信仰がありますかと尋ねました。 聖書は、「あなたの信仰の通りに、あなたに成れ」と言っています。 彼が祈った時、私の背の下方の激痛が一瞬のうちに消えました。それまでは、座るのも横になるのもつらかったのです。事実、私の足をいすに置いて床の上で寝たことが何度もありましたが、実際には休息できなかったのです。 その祈りの後、私は教会を走り回りました! 私の背骨がいやされただけでなく、緑内障もいやされました。私の目から何かが取り去られるのを感じました。そして、それ以来、私は目薬を一度も使っていないのです。検査を受けると、緑内障はなくなっていると告げられました。 神が私を送り返されたのは、多くの、多くの奇跡を受けた手本として私が人々に命を与える奉仕に携わることができるようになるためであり、また、生ける神への人々の信仰を建て上げるのを助けてあげられるようになるためだと信じています。 |
|
★
抜粋を音声で聞く( MP3)
→ 体験A(7分) B(9分) C(9分) |
●地獄は本当にあります!【2】 《地獄は本当にあります、 作り話ではありません!》 …アンジェリカ・ザンブラーノ(エクアドル)の体験 ●自殺して地獄に行った15歳の少女 ●自殺者たちの証言・聖書の証言 |
copyright c. www.tengokujigoku.info |