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(1)最大の罪
最も大切なことをしないことが、最も大きい罪となります。神があなたに一番願っておられることは、あなたが神を心から、誠心誠意をもって愛することです。そして、心から愛しているなら、当然のこと、神の言いつけを守り、喜んで神にお仕えするはずです。 人間の親子の関係でも同じです。親にとって自分の子どもに愛されることは、何にもましてうれしいことです。 自分の子が自分を愛してくれず、自分のために何もしてくれず、自分のことなど完全に無視して勝手な生活をしていたり、あるいは、『親など必要ない』、『親なんかきらいだ』などと言っているとすれば、親はどんなに悲しむことでしょう。神も人間に対して同じように感じておられるのです。 もしあなたが神を愛しておらず、神のために何もしておらず、神のことなど完全に無視して勝手な生活をしていて、『神なんか必要ない』とか、『私は神なんか信じない』とか、『神なんかきらいだ』などという生活をしてきたのなら、あなたは神を大いに悲しませてきたことになります。実は、そういう生き方こそが、最大の罪なのです。そのことを、旧約聖書はこう表現しています。
(2)さまざまな罪
神を無視して自分勝手に生きている人間は、さまざまな罪を犯すようになります。右のさまざまな罪のリストは、毎日の人間の生活の中で繰り返されているものです。日本の国の法律で有罪とならなくても、神の前では、これらのどれ一つを犯しても罪であり、その人は罪人となるのです。 行為として現れる罪のほかに、心の中にいだく悪も罪となります。 (3)心の中の罪
心の中に悪があるなら、それが行為に現れなくても、神の目から見れば、その人はすでに罪を犯しているのです。神は人間の心の中まで見通すことができる方なのです。
神の前では人間の心のすべてが明らかであり、その人の動機、悪意、はかりごとが全部読みとられているのです。 第1課で学んだように、神は完全に清い方であられ、罪や汚れの全くない方です。人間には自由意志があり、悪いことをするかしないかを選ぶ能力が与えられています。人間はロボットではありません。何かをするかしないか、神を愛することも、愛さないことも、罪を犯すことも犯さないことも、自分で決定することができます。ですから、その結果に対する責任もあるのです。 (4)罪の結果
罪とその結果である死は、最初に造られた人間であるアダムの時からすでに始まっています。
しかしアダムは神の戒めを守らず、罪を犯しました。そして神の言われた通り、彼は死にました。ただし、この『死』とは、彼の霊がその時に『死んだ』ことを意味しています。彼の肉体は、後になって死にました。アダムが罪を犯した時までは、彼の霊は『生きていた』のです。 罪によって『霊』が死にましたが、そのままの状態でやがて『肉体』も死ぬとすれば、その人は永遠に滅びることになるのです。ですから聖書では、罪を赦されていない人の状態を、(霊が)死んでいると言っているのです。
そしてアダム以降、罪は全人類に及んだのです。
罪は、必ずその結果を刈り取ることになります。その結果とは、死です。 社会で法律に違反して有罪となれば、その刑罰を受けます。この地上では犯罪者であっても、逮捕されずに刑罰を受けない人々もいます。 しかし、神の目からは、逃げ隠れできる人など一人もいません。罪の結果を刈り取る時が必ず来るのです。
第1課で見たように、人間の命を支配しておられるのは、神です。神は、人間が地上で生きている間に歩んだ人生を、すべてご覧になっておられます。その神がひとりひとりを裁く時が来るのです。 人間社会の裁判では、その人が犯した行為が詳しく調べられ、法律に基づき、裁判官によって判決が言い渡され、刑罰が課せられます。 同様に、人間が死んだ後、その人の人生の記録にしたがって、裁判官であられる神から公正な判決が下されることになるのです。
裁判の場で問われるのは、その人の罪です。たとえば、この社会の裁判で、だれかが人を殺した場合、その人が大会社の社長で莫大な資産を持っているとしても、その人が頭がよくて優れた才能があるとしても、あるいは、その人が何億人のために良いことをしたとしても、その殺人の『罪』がなくなることはありません。 死んだ後に受ける裁判の場で、あなたが問われることは、あなたが地上で生きている間に蓄えた財産や、あなたが得た地位、名誉のことではなく、神に対するあなた自身の『罪』のことです。つまり、次の課で学ぶように、人が自分の罪の赦しを受け取れるようにされている状況で、「あなたは自分の罪を赦してもらいましたか?」、それとも、「あなたは自分の罪を持ったままで人生を過ごしたのですか?」ということが問われることになるのです。 そして、裁判官であられる神が、罪を持ったまま過ごしてきた人々に刑罰を下されることになるのです。
この刑罰の期間は、10年間でも20年間でも、10000年でもありません。永遠に続くものです!(『地獄についての聖書の教え』『だれが地獄に行くのか』(エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊)参照)
1976年、アメリカ人の女性、メアリー・キャサリン・バクスターはイエス・キリストによって地獄に案内されました。それは、地獄が本当に存在し、人々がその苦しみから救われるためにイエス・キリストが父なる神から遣わされたことを世界の人々に伝えるためでした。(『地獄についての神の啓示』(エターナル・ライフ・ミニストリーズ刊)を参照ください) 彼女がそこで見たのは、自分の罪の赦しを受け取らずに死んだ大ぜいの人々が、燃える火で焼かれ続け、真っ暗な闇の中で苦痛の悲鳴を上げ、泣き叫んでいる姿でした。彼らにはもはや救われるチャンスが全くなく、あるのは激しい苦しみと痛みと永遠の後悔でした。 メアリー・キャサリン・バクスターは天国にも導かれましたが、彼女の体験と証しは、聖書の語っていることと合致しています。 『地獄は存在しない』とか『人間は死んだら無に帰して何もなくなってしまう』などというまちがった考えは、もはや捨て去らねばなりません。地獄は現実に、確かに存在しているのです。人間は死んでからも天国か地獄で永遠に存在し続けるのです。 また、『罪を持ったままの人でも天国に入れてもらえる』ことは、決してありません。完全に清くて正しい神のおられる天国に入れるのは、罪を赦された人だけなのです。 人が永遠を天国で過ごすか、あるいは地獄で過ごすか、これはその人がこの地上で生きている間にだけ選び取ることができるのです。地獄に行ってしまってからでは、遅すぎるのです。このことこそ、他のどんなことよりも大切な、永遠を決定する決断なのです!
死んでからでは遅いのです。今生きている時間は、ひとりひとりが神の御前で敬虔に過ごすべき重要な時なのです。 |
■人々が地獄に行く理由 聖書は、神がイエス・キリストを通して「和解」(救い)をもたらしてくださったと教えています。
神はイエス・キリストを通して救いをすでに用意しておられるのです。 私たちがすべきことは、その救い・和解を受け入れることです。 ケネス・E・ヘーゲン師はこう述べています。
どうすれば、神の子どもたちとなり、天国に入ることができるようになるのでしょうか? イエス・キリストはこう言われました。
つまり、人々が地獄に行く理由は、イエス・キリストを受け入れていないから、悔い改めていないからです。 イエス・キリストを受け入れていない人々、悔い改めていない人々は、事故死でも、病死でも、長寿を全うして老衰で死んでも、自殺して死んでも、自殺せずに死んでも、どんな死に方であっても、地獄に行くのです。 イエス・キリストによる神の「和解」を拒んでおり、悔い改めていないからです。 ただし、クリスチャンになったからといって、どんな生活をしていても天国に行けるということでは決してありません。 クリスチャンであっても、罪を犯したなら、その罪をすぐに悔い改める必要があります。悔い改めずに死ぬクリスチャンたちも、地獄に行くことになります。(マタイ25・41〜46、第一ヨハネ1・9、『クリスチャンへの警告シリーズ』等参照) |
→次へ(【3】)どうすれば天国に入れてもらえるのか? |
1.神様はどのようなお方か? 2.罪とは何か?・人々が地獄に行く理由 3.どうすれば天国に入れてもらえるのか? 4.地獄に行かず天国に行く人の生活 |
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